「太田敦子版画展」柳沢画廊、9月5日(土)~19日(土)
深明堂という、旧中山道沿いの印鑑店のビルの上に柳沢画廊はある。以前は印鑑店だけだったが、道路の拡張工事に伴い、店舗を3階建てのビルに建て替えることになった。父とともにこの店を営んでいた柳沢敏明さんは、ビルの2階と3階を使って画廊を始めることにした。1984年のことだった。
柳沢さんは以前から趣味でよく画廊を回っており、気に入った版画を見つけては個人的にコレクションしていた。埼玉県内にも何件か画廊はあったが、当時はどこも貸し画廊ばかりだった。柳沢さんは、どうせやるなら自分で見たい作品を展示する企画画廊にしたいと考えた。
当初は年に5、6回の企画展を開き、あとは自分の持っている作品を交互に飾っていた。3年目ぐらいからほぼ通年、企画展だけでスケジュールが埋まるようになった。そしてその頃から、この画廊で展覧会をやる作家も固定してきた。
経済状況は上向きでよい時代だった。一時は、全国のコレクターを相手に版画の通販などもやっていた。ところが、1990年代も後半になると美術品の流通は激減し、現在は印鑑店での収益を画廊の運営費に回しながら維持するようになっている。
こうした時代になり、柳沢さんは改めて、自分は版画が好きなのだということを実感していると言う。版画の中でも、特に物質感の強く現れた作品に引かれるらしい。だから銅版画や木版画の展示が必然的に多くなる。版画に引かれるのは印鑑を製作していることと関係あるかもしれないと、自らを省みる。愛好家にとって、その作品が売れるかどうかは二の次の問題なのだ。
9月には、太田敦子さんの銅版画展が行われる。太田さんはこの画廊で初めての発表となる。たまたま訪ねてきて空間に興味を持った太田さんが、この画廊で展示してみたいと自ら申し出たそうだ。一方で柳沢さんも、銅版の腐食からイメージを導き出す太田さんの独自の表現に魅力を感じた。
今後は、今までやっていない若手作家の作品も紹介してゆきたいと柳沢さんは考えている。好きな作品を展示するのが基本だが、同じように、美術家にもこの画廊に興味を持ってほしい。互いの信頼があるからこそ、双方の役割は活かされるのだ。四半世紀の年月を経て、この画廊はすでに柳沢さんの存在の一部となっている。
(090710取材)
PR