国家予算が破綻し、明治以来、続いてきた中央集権の時代が終わろうとしています。美術においても例外ではなく、これまで大都市で集中的に行われていた美術の評価や選別が、その単一的な規範の崩壊によって行方を見失ってきています。こうした閉塞状況の裏で、自治体や市民、美術家などを中心とした実験的な活動が、地方においてすでに始められるようになっています。そしてこれらが、地域の新たな文化ムーヴメントを生み出しつつある例も、いくつか見うけられます。今後、こうした地域における文化創成の試みが、ますます注目を浴びるようになるでしょう。
地域における美術活動は、これまでいわゆる「美術公募団体」の人たちによって担われてきました。彼らは、作品制作のための普及活動を地道にそして献身的に行い、それぞれの地域で数多くのアマチュア美術家を養成しました。その結果、わが国は、他に例を見ない膨大な数の美術家人口を擁することとなりました。ところが、地方の美術リーダーたちも、美術家としての評価は大都市で与えられるため、地域での格づけは、常にそうした大都市での評価を反映するものでありました。こうした状況は、しばしば文化や芸術の意味を見失わせる結果をもたらしています。
これまでは一般的にも、文化は上から下りてくるものといった誤解がありました。行政もまた、市民に文化を施せるかのような錯覚を持っていました。しかし、現実に行政にできることといえば、市民が育て守ろうとする文化を、その背後から援助することぐらいなものです。さらに、先述のように、これからは中央での評価を単純に地方が受け入れられる時代ではなくなります。そこでは、個々人が独自に評価・選別を行い、それぞれの地域ごとに固有の文化(風土的特色を持った文化という意味ではありません)を築き上げることが期待されるようになると思われます。
文化づくりを忘れてしまったわが国において、行政がまず取り組まなければならないのは、文化を育てることのできる「人づくり」です。これこそが、おそらく今後の文化行政の中心的な仕事となってくるでしょう。そのとき、行政がブレインとして求めるのは、それまで地域に根ざした文化活動を行ってきた市民に他なりません。今、世界で何が行われ、同時代人として私たちに何ができるのか。それを市民の文化的リーダーたちが理解していなかったとしたら、文化行政はますます誤った方向に向かってしまいます。これは決して行政の責任ではなく、文化に携わるひとりひとりの市民の責任です。
そうした意味からも、同時代的な美術活動を行っている人々が、今後の地域文化のあり方を真剣に考えなければならない時期にきているものと思われます。
2000年5月
発起人 松永康、柳沢敏明
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