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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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「見沼の見!2009-直視せよ!-」GREEN ART TEAM、9月30日(水)~10月4日(日)

 GREEN ART TEAMという一風変わった名前のギャラリーがある。桑山大慶さん、塚本修央さん、加藤丈史さんたちとともにここを運営しているのは、美術家の雨海武さんだ。雨海さんもまた珍しい経歴を持っている。最初は芸大の油絵科で作品を制作していたのだが、いつからかそれを売って、人々に飾ってもらうことに関心を持つようになった。
 卒業後、青山にあるギャラリー・スピカで、「雨海商店」と題した展覧会を何回か行った。画廊を商店に見立て、知り合いの美術家から借りてきた作品を会場に展示し、手ごろな値段をつけて販売するのだ。外見はふつうのグループ展であるが、雨海さんとしてはその商店自体を自分の作品として提示しようとしたのである。
 このような実験を通して、やがて実際にギャラリーの企画運営へと入っていくことになる。現在はGREEN ART TAEMの運営を行う傍ら、さまざまなイベントの企画も行っている。たとえば港区の汐留地区街づくり連合協議会が主催する「GO! SHIODOME ジャンボリー」では、「Tokyo Art  汐留派」というパートをプロデュースしている。
 GREEN ART TEAMは、実は初めGREEN TEAMという名のエコロジーショップだった。その2階を使い、雨海さんがGREEN ART TEAMという美術教室を開くようになった。運営方法はすべて雨海さんに任されたが、店のオーナーが唯一求めたのは、近所に住む老人や子どもたちの笑顔を見せてほしいということだった。
 ところが2003年、本体であったGREEN TEAMの移転に伴い、以降、雨海さんは全室の運営を任されることとなる。急に大きな空間を与えられ多少の戸惑いはあったが、それが杞憂であったことはすぐにわかった。それまで2階で窮屈そうに描いていた人たちが、水を得た魚のように1階の会場で大作の制作に挑戦し始めたのである。
 通常、GREEN ART TEAMは美術教室として使われている。美術教室といっても全面ガラス張りの吹き抜け空間で規模が違う。だからそこで制作する作品のスケールもまた違う。近所の婦人やリタイヤ組みの男性が、ふつうの顔をして100号級の絵を描いている。そして、その合間を縫うように展覧会が行われている。
 当初は教室の生徒の作品展が中心だったが、間もなくそこに雨海さんの企画による展覧会が加わるようになった。自由に使える宣伝費はなく、口コミだけが頼りだ。展覧会自体が、この場所を知ってもらうために始めたようなものだった。
 エコロジーショップという出自を意識してか、やはり環境との関わりを忍ばせたテーマが多いようだ。すでに5回目となる「安行百花展」や3回目の「日本の画展」など、現在は年に4回ずつ企画展を行っている。
 9月にはここで「見沼の見!」が開かれる。川口周辺に在住する美術家たちによる展覧会で、今年で4回目となる。初め、美術室と理科室を併せたような展示を目指して企画された。見沼の地層を描いた絵などはその模範的な作例だったが、芝川のナマの魚が持ち込まれたときはさすがに驚いた。
 今回の案内状に写っている魚が、まさにこのときの展示物である。60センチもある鯉は相当に威勢がよく、展示中、何度も水槽から飛び出したためついに川へと帰され、途中から小さめの魚に代えられたそうだ。芝川の魚は意外に逞しかった。
 今回は16人の美術家が出品する。過去にこの会場で展示したことのある作家に加え、初めての参加者が5人いる。それぞれ1坪ずつスペースが与えられ、「見沼」という言葉からイメージして作られた作品を持ってくるというのがルールだ。
 見沼という名は見沼田んぼに由来する。それが示す地域は意外と広く、川口市の北端から浦和を突き抜け、大宮の北端にまで至る。東京に隣接した一帯でありながら県条例等により宅地化が抑えられたため、昔ながらの田園風景がそのまま残されている。こういう場所だからこそできるアートの可能性を探ってみたい。いつものように前向きな口調で雨海さんは答えた。

(090710取材)

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「橋本真之展」ギャラリー緑隣館、9月21日(月・祝)~27日(日)

 橋本真之さんは、代々、上尾駅近くに居を構える家に生まれた。ところがその土地は、周辺の数件の家とともに上尾市の共同開発事業区域指定を受け、マンションの建設予定地とすることになった。そして1997年、この工事の完了に伴って、マンションの住居と道路に面した1階部分が橋本家の所有となった。
 橋本さんの父は書家だった。父の提案により、そこを書道教室兼ギャラリーにすることになった。ところが、ここが完成して間もなく父は他界する。そこで書道教室の壁を取り払い、全室をギャラリーとして使用するようになった。
 橋本さんは一貫して、鍛金による制作を続けている美術家だ。ここでの個展は今回で3度目となる。このギャラリーを開設するとき、立体作品の展示も想定して窓の大きな明るい外光の入る空間にした。緑地の樹木を眺めながらゆっくり作品を鑑賞できるつくりだ。
 鍛造で成形され引き伸ばされた作品は、途中で分断され、また違った形で増殖していく。それらが室内と樹木の間を行き来しながら、自在に形を変化さていくのだ。ひかわ幼稚園やアッピー通りのコープ愛宕等、周辺にも枝分かれした作品が置かれているので、ここを訪ねた折にはそれらを見て歩くのもよい。ちなみに上尾市役所まで行けば、多田美波さんや清水九兵衛さんなどの作品を見ることができる。
 周辺の住民は橋本さんの顔なじみだ。ここを訪ねた日、地域の祭で使った資材が一時的にギャラリーに保管されていた。近所づきあいもそれなりにこなしているのだろう。しかし橋本さんは、こうしたふだんの生活と作品の制作活動とは明確に区別しているという。作品制作は、日常と密接に結びついてはいるが、日常とは明らかに異なるいわばその上澄み的な存在なのである。
 一方で美術に関ることでは、近隣の美術家とも連携を取ってきた。上尾市の美術家協会に参加し、かつては美術館の建設運動に参加したこともあった。橋本さんはこれまで、都内を主な作品の発表場所としてきたが、経済情勢の変化でそれも減りつつある。これからはおそらく、県内での発表の機会もさらに増えてくるだろう。
 美術にとって埼玉の最大の弱点は、批評活動があまりに少ないことだと橋本さんは言う。批評する人がいなければ、美術家どうしで互いに批評をするしかない。現在、ここは貸しギャラリーとして機能しているが、使用頻度は月に1回程度である。運営はたいへんだと思うが、近隣の美術家たちが互いに批評し合える場として、今後もこのスペースを維持していってほしいと願う。

(090722取材)


「2009. Autumn. DAIMON.(消地)」武蔵野線東川口駅北口東側高台造成地、9月1日(火)~20日(日)

 さいたま市では現在、「さいたま市区画整理協会」という財団法人が主体となり、市内の数か所で土地区画整理事業が進められている。この法人は市が地権者を集めて設立したもので、行政と市民が土地の利用について共に考え、区画整理事業を円滑に進めることを目的としている。
 同協会の前身は、1972年に設立された「浦和市土地区画整理協会」だった。ところがこの事業は遅々として進まず、そのうち大宮との合併が行われ、名称が変更されて現在に至る。市も地権者も、これらの土地ができるだけ早く整備されることを待ち望んでいる。
 さて、浦和市の南東の端に位置するJR武蔵野線東川口駅東北側の大門地区もまた、この区画整理事業に指定された地域で、同協会内の「大門第二特定土地区画整理組合」が管轄している。そして田中千鶴子さんは、まさにこの場所で生活を営み、作品を制作してきた美術家である。
 このような状況を踏まえ、田中さんはあえて、この造成地の空き地を使って作品を展示することにした。初め、高速道路に程近い公園予定地を提案したが、それはあえなく却下された。さまざまな市民感情が交差する中でこの展覧会が行われ、思わぬ波紋を呼び起こすことは、関係者たちにとって望ましいことでなかったのだろう。
 田中さんはかつて、さいたま市議会の議員だった村上明夫氏などと自然保護運動を行ったことがあった。村上氏は議員活動を通して自然保護を訴え、見沼田んぼの保護にも尽力してきた人物である。この公園の開発が行われることになったときも、田中さんたちとともに環境アセスメント条例を制定して周辺に生息する動植物の保護を訴えた。このような田中さんの問題意識は、決してにわか仕立てのものではなかったのだ。
 たとえばこの地域には、樹齢数百年を超える大木が数多く残っている。しかし、区画整理事業には「更地換地」の原則が伴う。所有する土地を別な土地と交換するとき、そこを更地にして明け渡さなければならないという決まりだ。そのため今、この地域の樹木は次々と伐採されている。
 田中さんは、作品の新たな設置場所を探すに当たり、さらに東川口駅に近いところに目をつけた。しかし今度は、ぎりぎりまでその計画を公表せず、近づいたところで一気に許可を取るつもりだ。審議の余地が増えれば、許可が降りにくくなるのは目に見えているからである。
 田中さんが行う展覧会のタイトルは「消地」。鋳鉄とステンレスで成形した作品を、この場所でインスタレーションするという。ここは大門南土地造成地区、この土地の記憶が次々と消されていく。作品には、人々が代々守ってきたこの土地への、敬意と哀悼の思いが込められている。

(090715取材)


「オープンスタジオ」KODAMA ART HOUSE、9月19日(土)~27日(日)

 「KODAMA ART HOUSE」を主宰するのは柳健司さんだ。2004年、縁あって芸術活動に理解のある地主さんと出会い、 児玉町(現・本庄市)で土地を借り入れることになった。まずは解体寸前だった大きな古いプレハブの倉庫を探し出し、移築することから工事は始まった。とりあえず住めるようになると、今度はそこを根城に本宅の工事である。
 本宅の設計から内装まで、作業のほぼすべてを柳さんが行った。最低限の予算で最大限の家づくりを目指したのだ。現在は名称をKODAMA ART HOUSEとし、区切られた空間にそれぞれ4人の美術家が生活しながら制作を行っている。
 9月にはここでオープンスタジオが行われる。立体作品を中心に制作している新井淳一さんと、主に平面作品を制作する岡田達郎さん、武藤彬子さんが本宅の方で展示を行う。そして柳さんは、最初に建てた倉庫をさらに改装して展示することになっている。
 柳さんは今後、この場所を使って作品展示等、様々な活動を行っていきたいと考えている。美術関係者に来てもらうのはもちろん嬉しいが、それより地元の人に見てもらいたいという思いが強い。すでに地域の行事にも積極的に参加し、住民との交流も深めているらしい。KODAMA ART HOUSEの次の展開へと、すでに柳さんの心は動き始めているようだ。

(090714取材)


「柳澤信男オープンアトリエと作品展示」柳澤信男アトリエ、9月19日(土)~23日(水・祝)

 柳澤信男さんのアトリエは、飯能市街を見下ろす顔振峠のすぐ下手にある。版画家の永井研治さんの紹介で、2005年に借り受けた一軒家の旧家だ。
 柳澤さんは月曜から木曜まで武蔵野美術学園に勤務し、金曜から日曜日までこのアトリエで制作している。自宅から車で1時間ほどで来られるので、気持ちを切り変えるのにちょうどよい移動時間だ。また、学校勤めと制作のための場所が分かれることで、精神的にもバランスが保たれるという。
 アトリエに着くとまず庭の草刈りで日が暮れる。しかしそのことで、この空間に心身が馴染んでくるらしい。制作が進まなくなったとき、気がつくといつの間にか草刈りをしていることもある。ここでは、絵を描く作業と草刈りとが一体になっているのだ。
 これまでアトリエにあまり人を呼ばなかった。人と関わる勤務から離れ、一人きりになれる時間が心地よかったからだ。初めは版画家である奥さんの美奈子さんと共同で使っていたが、湿気が多く木版にカビが生えるため最近は柳澤さんの独占状態となっている。
 柳澤さんはかつて木片を使い、表面に鋭い起伏のあるレリーフ作品を作っていた。しかしある時期から、巨大なキャンバスの上に、行為性の強く残る筆跡を外延部に向けて引き延ばしていく作品となった。そして最近は、ベニヤ板の上に円形の色面を重ねていく作風に変わってきている。
 私が訪ねたときは、母屋の西側に作った新しいアトリエでこのタイプの作品を制作していた。初め大きな円を描き、その上に小さめの円を塗り重ねていく。円を塗る筆跡はそれぞれ中心へと向かい、それらが集積することで重層的な視覚効果がもたらされる。そしてある程度画面が埋まると、今度はその上に不透明な色面で有機的な線が描かれる。
 オープンアトリエのときには、母屋の方に90×180cmのベニヤ板8枚に描いた新作と、併せて何点かの旧作が並ぶという。そのときには、この部屋を襖絵のように取り巻く作品と、縁側の外に広がる木々の重なりが、濃厚な響き合いを見せていることだろう。

(090728取材)

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