<遍在する命>
これまで見てきたように、「自分を含む特定の範囲の者達の繁栄」は人間にとって根拠のある願望であった。それは代々続く遺伝子の連結からもたらされた、生物としての責務である。しかし一方で、遺伝子は今後も延々と生き延びていく。これから訪れるであろうさまざまな環境の変化の中でヒトの遺伝子を維持していくには、染色体のさらなる多様性を確保することが不可欠である。そしてそのためには、できるだけ構造の異なる遺伝子を持った者どうしの交配が望まれる。
最後に、高草木さんから次のようなメッセージが届いた。
「もっと本質的な理由に気づきました。婚姻(子供を設ける)には血縁のなるべく遠い者のほうがよいと言われているからです。近親交配を繰り返せば劣性遺伝子が顕在化して先天性異常の発生率が高くなります。」
まさにそこなのだ。そのことを人類は経験的に知っていたのである。
かつて閉じられた共同体では、そこに異なる血を入れるため配偶者を他の共同体から迎えるという習慣があった。併せて族内婚姻は、「血が濃くなる」と言われ避けられた。実際に、近親間の交配は遺伝子障害を起こしやすいらしい。配列差の大きい遺伝子と交配することで種の多様性がもたらされ、そのことで環境の変化に対応しやすくなるのである。
ここまできてようやく、人がなぜ近親者と同時に遠縁者を大事にしなければならないのか明らかになってきた。近親者は祖先がつなげてきた遺伝子を共有しており、また遠縁者はこれから残していく遺伝子の多様性を保障してくれるからなのだ。近親者は過去を背負い、遠縁者は未来を担っているのである。
かつて人類は、異なる共同体どうしで接触を持つことがほとんどなかった。接触が必要なときは戦争となり、ときには大規模な殺戮が行われた。異なる共同体の人々を、同じ人間として見なしていないからそれができたのだ。しかし、その発展の過程で共同体の吸収や併合が進み、異民族間でも共通理解の幅が徐々に拡げられてきた。そのひとつの要因は、支配-被支配という身分差を超え、場合によってはモラルを犯して異民族間の交配が行われてきたことにあるのではないか。
そして今、経済のグローバル化により、近代国家に生きる人々の人口移動はますます加速している。それに伴い国際結婚が促進され、異民族間での合法的な混血が進んで、子孫の遺伝子構造もますます多様化していくに違いない。親族が世界中に散らばり、命が国境を越えてリゾーム状に交差していく時代となる。高草木さんの言葉を借りるなら、「地球の裏側のような地域に住む人々から発せられるいのちのシグナルにも呼応する」「いのちの連携、ネットワーク」が現実化するのである。
そのとき人々の意識の中では、命の遠近感が地理的な距離を大きく凌駕していると思う。共同体の内と外はもはや対立する関係ではなく、双方の利害を対等に考慮せざるを得なくなっているだろう。人々もまたそれを不合理と感じないはずだ。なぜなら、すでに命は国家や民族を越え世界中に遍在しているのだから。(おわり)
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