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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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 天王洲セントラルタワー1Fアートホールにおいて、2009年11月6日(金)まで田中毅さんの展覧会が開かれている。その会場での配布資料に、私の書いた紹介文を掲載していただいた。田中毅さんは埼玉県川越市在住の彫刻家なので、同展の企画者である田村熠子さんに許可をいただき、このブログに転載させてもらうことにした。


そこに行けば、また会えるよね

 今日の美術は、造形の持つ複合的な要素をことごとく分解し、表現をその断片にまで細分化して展開してきた。それと同様に私たちを取り巻く実社会もまた、諸々の事象が何の関連もなくバラバラに動いているように見える。そうした中で個人は、そのいずれの部分にも無条件の信頼を置くことができず、常に漂泊感に晒されながら生きている。

 田中毅さんは1951年、宮崎県宮崎市に生まれた。高校を卒業後、美術大学受験のため東京の予備校に入学した。夏休みの帰省途中、かつてから見たいと思っていた磨崖仏を散策するため国東半島に立ち寄った。しかしそこで深く心に残ったのは、仰々しく掘り込まれた磨崖仏よりも、田んぼのそこかしこに点在していたお地蔵さんのような石仏の姿だった。
 それらはタノカンサァ(田の神さん)と呼ばれ、現在も九州各地に点在している。おどけた顔をしたものやふがいなさげに佇むものと、その表情は人間味に満ちている。実のところこれらには、田の神様でありながら豊作をもたらす力がそれほどないことをみな昔から知っていたらしい。それにもかかわらずそこを通る村人は、その前で当たり前のように手を合わせていくのだ。
 田中さんは1977年に東京藝術大学大学院の彫刻専攻を終了した。当時の美術の世界では、概念を重視した抽象的な表現スタイルが台頭していた。美術作品の構成要素を事細かに分析し、そのエッセンスを取り出して記号化していくのだ。そのことで表現にまつわる情緒的な部分をできるだけ消してゆこうと、多くの先鋭的な美術家たちは躍起になっていた。
 しかし田中さんは、こうした動向とまったく違う方向を目指したいと考えた。人が造形するということは、それをしなければ生きていけなくなるような、何か根源的な欲求があるはずだ。それを探すためには、コンセプト云々ではなく、見る人によって多様な捉え方のできる表現を模索するべきではないかという直感があった。そこで円空やホアン・ミロを思わせる、人の心に分け入っていくような半抽象的な石彫の制作を開始したのだった。
 1980年代に入り、岩手県の沼宮内で行われた彫刻シンポジウムに参加する機会を得た。そこで鈴木正治さんという青森の美術家に出会う。鈴木さんは、他者からの施しだけで生きているこの時代には稀有な人物で、その生き方はしばしば仙人に例えられていた。夜、参加者たちが酒を飲んで騒いでいるときも、鈴木さんはひとり片隅で黙々と木っ端を削っているのだ。そのとき田中さんは、この人はすべて芸術のために生きていると思った。
 鈴木さんが作る作品は誰のものでもない。誰かに喜んでもらえるならそれはそれでありがたいことだが、本人はただ作りたいから作っているだけなのだ。だからこそその作品には、どんな人にも分け隔てなく受け入れられる強烈な浸透力があった。芸術とは、このような代償を求めない愛の行為だったのではないか。このとき田中さんの中で、鈴木さんの姿とあのタノカンサァが重なっていたことは充分に想像できる。
 1985年、田中さんは、「中国の詩人たち」と題した3体の郡像を完成させた。上部はただ四角形で目も鼻もない。中央の襞は上着にも見えるし抽象的な模様にも見える。しかし上部と中央部と下部の関係は、いかにも人間の形そのものだ。見る者の経験に応じてさまざまな解釈をもたらすこの力作は、神戸具象彫刻大賞展で大賞を受賞した。
 田中さんはさらに、生き物のような構造を持つ形態を繰り返し作っていった。少しずつだが、形のバリエーションだけで作品を見せられる自信がついてきた。そしてあるとき、作品に2つの目を入れてみた。するとそこには、得体の知れぬ不可思議な生き物の姿が立ち現れた。
 抽象的な形態の上に穿たれた2つの目、それらがじっとこちらを見ている。その表情には奇妙なあいらしさがある。だがそれは、私たちが見馴れた生き物たちの愛嬌のあるあいらしさではない。むしろ朴訥で畸形的ですらある。そしてその分、私たちを見つめる眼差しはよけいに真摯さをもって訴えかけてくる。
 別に何かを与えてくれるわけではない。しかしたとえこちらがその存在を忘れても、それらはたぶんずっとこちらを見続けているに違いない。私たちの中にはいつか、そこに行けばまたあの眼差しに会えるという、一種の心の拠り所のようなものが芽生え始める。

  「置き去りにされるという感覚が甘えの心理を前提としていることは明らかである。幼児は母親に置き去りにされたとき、生命的な不安を感じる。そしてそれこそ現代人が人間疎外という言葉で表現する感覚の実態であると考えられるのである。」(*)
 たしかに私たちは、周囲から見守られているという安心感によって見知らぬ世界へと旅立つことができた。どこかでつながっているという思いから、他者と心おきなく競い合うこともできた。人間のそうした無言の連結を象徴的に示していたのが、あのタノカンサァという造形の本質だったのではないか。そう見ると田中さんの作品は、かつて人々の心の拠り所となっていた場を、私たちの身近なところで密かに再生させているように思えてくるのだ。

*土居健郎『甘えの構造』より

田中毅石彫展「ブルーアイランドのかおり」配布資料より転載

田中毅石彫展「ブルーアイランドのかおり」
会場:天王洲セントラルタワー1F アートホール
会期:10月5日(月) - 11月6日(金)
会場時間:8:30-20:00 土・日・祝日休館
住所:140-0002東京都品川区東品川2-2-24
電話:03-5462-8811
URL:
http://www.e-tennoz.com/arthall/index.html

 
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