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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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五十路のチビジ
埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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* 03:28
【】
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近くの命と遠くの命-「いのちを見つめる」展に付き添って(その2)
2009/11/02 (Mon)
■
<命の遠近>
まず初めにelement代表の高草木裕子さんから、エレメント・ブックのテーマを「いのち」とすることについて次のような趣旨説明があった。
「elementの趣旨文(会の目的)にある『本会はいのちについて考え、主張できる個々を目指す』について具体的に取り組めたら、と思います。社会のさまざまな問題は辿っていけばいのちの問題(尊厳)にいきつくのではないでしょうか。」
そしてそこには、「人間の社会では力のあるものは社会により適合し優位に立とうとしますし、さらに自らに都合のよいようしくみを変形させてきたりもしました。それは自分を含む特定の範囲の者達の繁栄を目的としています。そうしたことの総体が現在の社会です。ですから社会の問題はいのちの問題につながっています。/ちょっと向きを変えますと大地震の被災者を救助できないのに体面にこだわり(?)救援を拒んだ中国の軍隊は非難されてしかるべきでしょうし、いのちの尊厳を思ったら戦争のできる道理はないということになります。」という説明が加えられた。
人間は本性的に、他人より身内を大事にするものだ。「自分を含む特定の範囲の者達の繁栄」を目指せば、それ以外の人々の命は軽いものとみなされ、その結果、戦争という集団どうしの殺傷が起こる。そこには他の生物にない、命の軽重に対する人類特有の識別能力が働いているというのである。
しかしそれにしても、そのことと最後にある「いのちの尊厳を思ったら戦争のできる道理はない」という言葉の間には飛躍がありすぎる。人類はなぜ、「自分を含む特定の範囲の者達の繁栄」を求めるのか。そしてなぜ、その外側の者を排除するのか。これを説明するには、人の意識の中で命の価値に軽重の差が生じる理由を明らかにしなければならない。そのことで初めて、こうした集団間の断絶を超える、もうひとつ上位の概念が導き出せるのではないか。
間もなく、高草木さんから改めて、「持てる力をすべて出し切って戦争をしたら最後自らを滅ぼす事につながる」「世界全体で利益をシェアするしくみがうまく成り立った場合には特定がすなわち全体というわけですから、戦争ももう起きません。」という説明が加えられた。
これは極めて明快な言い方である。腹が減っては戦はできぬ。しかし戦をすると腹が減る。それがわかれば戦はしないという論理だ。そういえば黄金律というのがあった。「自分がされたくないことを人にするな」といったようなものだ。固定化した価値観を反転させることで、利害の対立を一気に解消してしまうような発想法のことである。しかしこと戦争に関しては、この論法には無理がある。
最終戦争は自らを滅ぼすという理屈は理解できる。だが、個々の視点からはそこまで達観できないのが現実だ。ときには、全滅してでも戦わなければならないと考えることさえある。だからこそ人類は、何度でも戦争を繰り返してきた。そうではなくて、なぜ人はそのような極視的なものの見方に陥るのかが問題なのだ。
また、「世界全体で利益をシェアするしくみ」を模索することは必要だと思う。しかしそもそも資源の価値自体が一定でなく常に変動しており、さらに地域ごとに求められるものが異なる。世界中の資源情報を日々集計し、流通をコントロールしていくのはまさに至難の技だ。社会主義国家の崩壊は、それが現実的に不可能だったことを物語っている。(つづく)
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* 15:14
【転載】
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