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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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五十路のチビジ
埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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* 04:10
【】
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分岐点から始まった分岐点(その2)
2009/12/31 (Thu)
■
<経緯>
この展覧会は「創発2009」の参加企画として実施された。「創発2009」は、9月に埼玉県内で行われる現代美術展を紹介するプロジェクトで、「さいたま美術展<創発>プロジェクト」の2009年の事業として位置づけられた。2008年の初回はインターネット上で展開し、2009年はマップを印刷して県内で広く配布された。
以前からこの時期に行われていた「国際野外の表現展」や「所沢ビエンナーレ」に加え、県内の画廊や現代美術家に9月に展覧会を実施するよう働きかけが行われた。その結果、県南部を中心に、中部、西部、北部とそれぞれ賛同してくれる人たちが現れたのだが、県東部地域だけはまったく開催の目処が立たなかった。そこで、このプロジェクトの首謀者である私自身が呼びかけ、私の住む鷲宮町周辺で展覧会を組織する準備を開始したのだった。
まず初めは会場選びだった。できるだけ駅の近くで展示に使える場所がないか探した。周辺地域の地図を見ていたところ、栗橋駅前に「いきいき活動センターしずか館」という公共施設があることを知った。そこで、以前から面識のあった栗橋町在住の彫刻家の小高一民さんと会い、その可能性について打診してみた。
小高さんは、しずか館の2階には町史編纂質がありそこで奥さんが働いていることや、町の教育委員会には柿沼勇夫さんという人がいて文化活動を熱心に行っていることなどの情報を提供してくれた。それを聞いたとき私は、これはいけると直感した。
できる限り協力するという約束を小高さんから取り付け、併せて栗橋在住で県立近代美術館のガイド・ボランティアをやっている木村由美子さんの協力も得られることになった。木村さんにはこれまでも、私の企画した展覧会の助手をお願いしてきた経緯があり、展覧会の進め方もよくわかっているので心強い。
そこでまず、小高さんに教育委員会との中継ぎをしてもらい、2009年2月16日、教育次長である柿沼さん、それに窓口となる生涯学習課の大塚徳一さんや岡田宣久さんと、栗橋町総合文化会館イリスで初めての打ち
合わせを行った。このとき、私たちが持ち込んだ企画に対し柿沼さんが手放しで乗ってきてくれたことも驚きだったが、さらに篠原有司男や赤瀬川源平などの名を挙げ1960年代の日本の前衛運動について熱く語り始めたときには、ただ呆気に取られて話を聞いている他なかった。(つづく)
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