次は肝心の出品者だが、県東北部に在住し、現代美術系の画廊で定期的に個展を開いている美術家はそれほど多くない。教育委員会との初会合のときには、すでに私の中で腹案ができていた。
候補となった10人の美術家に声をかけ、会場の下見を兼ねて2月21日に初めてのミーティングを開いた。私が示した案に対し、会場がよくない、展覧会の趣旨がわからない、展覧会の枠組みはみんなで決めるべきだ等、さまざまな意見が出され、その日は方向も見えないまま飲み会になだれ込んだ。
その後も月1回ずつのミーティングを持ちながら、候補者たちと意見の擦り合わせを行った。そして言うまでもなく、ミーティングの後はとにかく酒を飲むということを繰り返した。焦点が絞れぬままに時が過ぎ、この混沌とした集りにひとつの流れを作ったのは、あるとき小林晃一さんが放った「会場にはぜんぜん魅力ないけど、ここから始めればいいんじゃないの?」という一言だった。
当初は、体育館に限定するのではなく校庭やプールも使えないかという案があったが、その話はいつか断ち消えていた。その代わり翁譲さんから、自分が住んでいる杉戸町で独自に展覧会を開きたいという案が出された。杉戸町民の最寄り駅である東武動物公園駅前には古くから商店街があるが、店を営む人の顔にいまいち活気がなく、最近ではシャッターも降り始めている。そこで駅周辺の商店などに呼びかけ、自分の作品を1週間、飾ってもらうことにしたのだそうだ。
翁さんはこの頃、杉戸に住み始めてまだ数か月しか経っていなかった。その分、そうした町の状況が強く目に焼き付いたのだろう。私はまさに、メンバーからの発案によるこうした展開を望んでいたので、翁さんの活動を栗橋の展示と一環した事業として位置づけてもらうことにした。
それにしても、展覧会のタイトルがまだ決まっていなかった。「埼葛現代美術展」という仮題を付けてはみたものの、「埼葛」という言葉がよその人にはわからないだろう(*)。飲み会の席で何が展覧会の狙いなのか問いつめられ、苦し紛れに私が「今はこう…道が分かれていく時代なんですよ」と答えると、すかざす翁さんが「そりゃ分岐点だ!」と応じてくれた。そこで一気にタイトルが決定した。飲み会も決して無駄にはならないものだ。
そうこうするうち、9月に展覧会が重なるという理由で3人の候補者が抜け、翁譲、小高一民、小林晃一、近藤昌美、鈴木るり子、高津美絵、野原一郎の7名が最終的な出品者として決定した。こうして対外的な広報活動や協力依頼がようやく行えるようになったのは、5月も末のことだった。(つづく)
*埼玉県の中で、旧下総国葛飾郡に属する地域(県東部)を「埼葛」と呼んでいる。
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