まず一発目にメッセージを書きました。わかる人はわかると思いますが、わからない人はさっぱりわからないと思うので、ここに出てきた特殊用語について解説を書いてゆきたいと思います。
地美懇とは「地域の美術懇話会」の略称で(正式にはこのあとに「仮称」という言葉がついている)、「同時代的な美術活動を行っている人々が、今後の地域文化のあり方を真剣に考え」(「地美懇設立の趣旨」より)ることを目指して、2000年の6月に結成しました。その後、討議等を通して、美術に限らず、次々起こっては消えてゆく社会的な事象について、さまざまな角度から考えてきました。そして2008年7月、地美懇は解散し、地美懇が模索してきた「地域における望ましい美術活動のあり方」(「チビジ宣言」より)を実践するため、新たに「チビジ」が結成されたわけです。
地美懇は2000年6月から10月まで、浦和市(現さいたま市)の柳沢画廊を拠点として行いました。初期メンバーは、当時、松永が、社会的な関わりを持って活動していると思われる浦和市周辺の美術関係者に声をかけ、集まってもらいました。そして、各参加者の自己紹介をもとに、今後の方向性について検討を行うというところから始めました。
そして、しばらく間を空けたあと、今度は木村由美子さんが連絡調整役となり、2004年11月から2008年2月までさいたま市のマチェックで行うようになりました。ここでは、参加者から美術に関すること以外のテーマを出してもらい、それに対して松永が語れることを語るということを続けてきました。2007年からは木村さんがMLを開設してくれましたが、こちらはほとんど活用されず、現在のチビジのMLへと引き継がれました。
また時宜に応じて、メンバーが出品する展覧会の見学も行いました。高島芳幸さん、橋本真之さん、本多真理子さん、塩崎由美子さん、その都度、便宜を図っていただきありがとうございました。それと一度だけ、私が青森に赴任した年に、地美懇主催で青森ツアーを行いました。吉田未亜さんが幹事でしたが、このとき提起していただいた青森の可能性は何も実現されないまま、私はまた埼玉に戻ることになりました。
今思うと私にとっては、さまざまな問題について情報を収集し、それに対する見解を自分の言葉で語ることを自らに課したマチェック時代の経験が、他に代えがたいとても重要なものとして残っています。この間、飽きもせず、私の話に付き合ってくれた人たちに改めてお礼申し上げるとともに、1人1500円でビール1本と軽食を用意してくれ、さらに持ち込んだ焼酎のためにアイスや割り湯まで提供してくれたマチェックの藤井青さんにも本当に感謝しています。
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