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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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 ところで私の理解では、コミュニティ・アートの基盤となる考え方はヨゼフ・ボイスの「社会彫刻」にあると見ている。ボイスは1972年ごろから、社会を一つの芸術的な総体と捉え、そこに精神的な深みを与える鍵は芸術家が握っていると考えるようになった。芸術家が作るべきは物体としての作品ではなく、人と人の結びつきそのものなのだ。それを実現させるために世界自由大学を創設し、また政党としての「緑の党」を推進することにもなる。おそらくそうした考えから影響を受けて、イギリスでのコミュニティ・アートも始動したのではないか。
 一方、日本国内でコミュニティ・アートを標榜した動きが社会化するのは、1996年に始まる「トヨタ・アートマネジメント講座」だったように思う。1990年代に入ると、アメリカやイギリスでアート・マネジメントの理論を学んだ研究者が次々と帰国する。その手法と考え方を広めるため、この講座は毎年、開催地を変えながら日本全国で行われた。
 同事業の報告書には、「アートを通して地域社会を活性化する『地域のアートマネージャー』を各地で育成し、行政・文化機関・地域など、さまざまなレベルで地元密着型のアートマネジメントが盛んになることを目的に、活動を推進」したと記されている。「アートを通して地域社会を活性化する」ことは、言うまでもなくコミュニティ・アートの本分である。
 さらに2002年には「アサヒ・アート・フェスティバル」が始動する。そこでは「アートと社会をつなぎ、両者の関係を再構築」することを目的としたアート、すなわちコミュニティ・アートがその助成の対象となった。あたかも事前に計画されていたかのような企業どうしの見事な連携により、コミュニティ・アートは全国規模で数多くの実践を促すこととなる。そしてアーティストの側からも、藤浩志さんのようなコミュニティ・アートの専門家が登場する。
 ところが最近、広報資料を見ていても、誰がアーティストとして参加しているのかよくわからない催しをしばしば目にするようになった。固有性を持ったアーティストはすでに不要となり、むしろ集団的な営みの中から自然発生的に生まれてくる人々のつながりを「アート」と呼んでいるようにさえ思える。そこでは、下山さんの定義を地でゆく、純粋なコミュニティ・アートが生まれ始めているのかもしれない。
 たとえば埼玉では、2006年から文教大学の学生たちが越谷市内を使い「まちアートプロジェクト」を展開させている。ここでは、学生たちがアーティストの代わりとなってものづくりを行いながら、住民との交流を進めている。前述のように、若者は文化的な刷り込みが少ない分、どんな地域にも抵抗なく溶け込んでゆけるため、コミュニティづくりのためには、へたにアーティストを使うよりよほど即効性があるようだ。
 また加須市では、昨年、小学校の児童が自分たちの作品を町内の民家に掲示する「まちかど美術館」という催しが行われ、住民から期待と賛同が寄せられた。子どもが中心とは言っても、当然そこには大人たちの全面的なサポートがある。そこで必然的にコミュニティづくりが促されるのである。「子はかすがい」と言うが、子どもは地域を結ぶための強力な動機づけともなる。
 ここには、アイデンティティの確立を求めてきた近代以降の美術の文脈に収まらない、まったく新たな「アート」の姿が見える。アーティストがいたとしてもそれはひとつの役割であり、参加者との間に優劣の差はない。言い方を換えれば、すべての人はアーティストなのだ。これもまた自然適応の結果であり、ポストモダンに向けた美術の進化の一形態という捉え方もできるだろう。そしてそれこそが、ボイスの提唱した「社会彫刻」の完成形なのかもしれない。(つづく)
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