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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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 展示を見終え、私はmasuii R.D.Rで行われるトーク・イベントへと向かった。そこでは出品者である丸山芳子さんや陳維錚さんのトークと合わせて、NPO法人「コミュニティアートふなばし」を主宰している下山浩一さんが、「誰にでもわかるコミュニティーアート」というテーマで話をした。下山さんは、1997年頃から船橋で街を活性化させるための活動を続けている、コミュニティ・アートの草分け的存在である。
 中で、住民といっしょに活動していると、若いボランティアたちが地元のおじいさん、おばあさんによく呼び止められるという話があり、私はそこに耳が止まった。彼らは、かつてその街で起きたことや買い物する場所、大工道具の使い方といったことまで、自分の知っていることをとにかく人に伝えたがっているそうなのだ。そしてそれを聞いてあげられるのは、まだ社会の中で確たる位置を得ていない若者たちなのである。
 そういえば以前、「越後・妻有トリエンナーレ」でボランティアとして活動している女性から同じような話を聞いたことがある。「越後・妻有トリエンナーレ」とは、新潟県が主催し、過疎化の進む山間地域で3年に1度ずつ行われている大がかりな美術イベントだ。その女性は第一回展のときからこの事業に参加し、以降、毎回、同地に滞在するようになった。
 新潟の寒村に住んでいるのは、すでにみな高齢者ばかりだ。そこに大学生ぐらいの若者が派遣されてくる。若者たちが体験する日々の暮らしは、何もかもが新鮮なことばかりだ。その純粋な興味に触れ、住民たちも少しずつ自分たちのことを語りだす。まだ都市社会にすれていない若者には、文化差という障壁がないのだ。
 住民たちはいつしか、近代化の中で省みられることのなくなったその生活に、ある種の誇りを取り戻し始める。トリエンナーレという時間差が、双方にまた適度な思慕の情を募らせるらしい。こうして若者たちは、その地域にとってかけがえのない新鮮な空気となっていく。
 首都圏では、シャッター通りとなった商店街を活性化させるための取り組みがよく紹介されるが、そのとき経済効果の議論だけに始終しがちだ。しかし、真の意味で住民に元気を与えるのは、他者に認めらるという一人一人のプライドなのである。そしてそれを高めるのは、話を聞いてくれる人とのコミュニケーションの力に他ならない。美術にはさまざまな利用価値があるが、コミュニティ・アートは人から人への伝達力という部分を最大限に利用しているのだと思う。
 下山さんは、コミュニティアートふなばしの紹介文で、コミュニティ・アートについて次のように書いている。

 演劇・ダンス・美術・映像等の作品の共同制作を通じて、地域コミュニティ内の構成メンバーの親睦をはかるものから、コミュニティにおける課題の共有化や解決を狙う社会性の高いものまで、さまざまな試みが行われてきました。
 このバラエティに富むコミュニティアートと呼ばれるプログラムに共通して見られる特徴として、「アーティストと市民の共同作業によるプロジェクトであること」「参加者の作品に対する積極的なコミットを奨励しプロセスを重視すること」「参加者の違いを認め尊重した上での創作活動であること」が挙げられます。

 ここでは「作品」と「アーティスト」、「共同制作(作業)」、「コミュニティ」という言葉の関係が述べられている。前段では、「作品」という動機づけから「共同制作」というプロセスを経て、最終的に「コミュニティ」の再生へと至る手順が示される。また後半では、「アーティスト」が主導するのではなく、市民と対等な「共同作業」の必要性が強調される。要するにそこでは、アーティストと住民が直接影響を及ぼし合いながら、その活動が有機的に進展していくことを企図しているのである。
 トークの中で下山さんは、コミュニティ・アートは、コミュニティづくりが目的ではあるが、より実りあるものとするために優れた活動を行っているアーティストを選ぶことが重要だと語った。アーティストと参加者は平等だと言うものの、そこにはやはり魅力あるアーティストの存在が前提となっている。どんなにリベラルな社会になったとしても、人々を牽引するのは、やはり秀でた能力を持つ人間でなければならないということなのだろう。そうしたことから察するに、アートを手段と捉えているようなこの趣旨文も、本当のところ事業をよりスムーズに運ぶための常套句であることがうかがえる。(つづく)
 

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