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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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 この日、ボランティア講座でレクチャーをするため出品者のひとりである本多真理子さんが来ていた。これもまた公開プレゼンテーションの一環である。自分の作品に対して美術家はいったい何が語れるのか、私はこうした興味も手伝いこの講座に参加した。
 本多さんは、千年谷公園の橋の欄干と池の中の柵を使い、その間に何重にも赤い紐を往復させる作品を制作していた。それらの橋や柵は、風景の中で極めてデザイン本意に作られており、吊り橋風の構造にも養殖囲いのような柵の形状にも何ら必然性はない。それなりに目を引きはするが、その意味でこれらは機能を伴わない空疎な造形である。
 そうした状況に対面し、本多さんは直感的に、そこに紐を絡みつけたいと思ったらしい。その結果、橋と柵の間には図らずも有機的な関係が生じ、ある種、視覚的な必然性がもたらされたと小野寺さんは評価する。さらに本多さんが作業をしている間、その進展を毎日確認しにくる女性がいたり、学級新聞に掲載したいとインタビューに訪れる子どもも現れた。そこでは、公園に出入りしている人たちとの意思疎通という人的必然性も生まれていた。
 美術家は作品を置く場所から何らかの示唆を受け、それを手がかりに制作を開始する。しかし作者の手を離れるとき、作品もまた制作過程という過去を捨て、今度は置かれた場との間で自律的な関係を結び始める。作品に埋め込まれた作者の直感がその場の意味や歴史性をすくい上げ、そこに関わる人々とともに次なる物語を紡ぎ始めるのだ。
 美術作品は、置かれる場の意味や歴史の説明材料になってしまってはいけない。それは不動の記念碑であって、そこから新たな物語が生まれる余地はない。しかしだからと言って、その場の歴史や意味を無視してもだめだ。結果的にそれは、公園の橋や柵と同じように風景の中のアクセントとなってしまう。彫刻は周囲と隔絶しつつも、その内側に、その場に対する作者の思念が込められるべきである。そのことではじめて、美術作品としての固有の存在を発揮するのだと思う。
 作品が作者の手を離れた以上、それはすでに作者のものではない。作品はすでに、そこで独自の位置を築き始めている。だとすれば、その作品に対して作者が語れるのは、これから始まる物語づくりの1人の参加者として、自分がその場とどのように関わってきたのかということであろう。
 美術家たちはこれまで、作品をいかに作るかという作品内部の問題に意識を集中させてきた。さらにそれらは、何の手がかりもない空虚な展示空間に置かれ続けため、作品を独り歩きさせる機会も逸してしまった。作品について語るには、いったん作者から引き離さなければならない。ところがこうした状況があったことで、美術家たちは作品を通したコミュニケーション・スキルを磨くことができず、見る側との間に次第に深い溝が築かれていったのだ。このことが日本で現代美術が流通しにくい最大の原因だと、小野寺さんは指摘する。(つづく)
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