県道青梅入間線の街道筋からちょっと奥に入ったところに、1999年にオープンした「アトリエキャトル」はある。ここには、昨年、ギャラリー麦での個展で「9月の創発」に参加した田代絢子さんの作業場がある。そして今年は、やはりこのアトリエを使っている斎藤輝昭さんがギャラリー麦の個展で「9月の創発」に参加する。
彼らがここに入るきっかけを作ったのは、画家の山尾才さんだった。山尾さんはかつて所沢の下山口にアトリエを構えていたが、隣の不動産屋の社長さんから入間にアパートができるという情報を聞きつけた。「絵描きはアトリエに困っているので、倉庫のようなアトリエにしたらすぐ入居者が見つかりますよ」とアドバイスすると、土地の持ち主が乗ってきて、とんとん拍子で四軒長屋のアトリエができることになった。
山尾さんは、そのことをさっそく美術家仲間の出店久夫さんや斉藤さん、田代さんらに伝え、そこを先行予約することにした。アトリエは4つの部屋に分かれており、1号室を出店さん、2号室を斉藤・田代夫妻、そして3号室を山尾さんが使うことになった。4号室には別なルートで飯能在住の書家が入った。
ところがいざ入居してみると、部屋ごとに並行して入ることになっていた梁がなく、その代わり1室から2室、3室から4室へと太い金属の梁が2本突き抜けているではないか。これではこの梁がじゃまで、大きな絵を立てて描くことができない。どうも請け負った工務店が勝手に設計を変更したらしいのだが、それでもみな昔ながらのよしみで、使い方を工夫しながらいまだにこのアトリエで制作を続けている。
昔なじみとはいっても、それぞれに使っている材料や技法、表現のテーマはまったく違う。出店さんは写真をコラージュで再構成してゆき、それが最終的に絵画作品となる。斎藤さんは長くパリに滞在し、アンフォルメルの影響を受けながら純粋抽象の絵画世界を築き上げた。田代さんは、やはりパリにあるヘイターの版画工房でさまざまな技法を身に付け、そこから生み出される多様な表現を追求している。
山尾さんは間もなく滋賀に移ることになり、その後、3号室に入ったのが宇賀地洋子さんだった。宇賀地さんは、木を使って女性の豊穣さを示す人体像を彫っている。子育てのため木彫に専念できなかったとき、同じ木を用いるということで木版画も始めた。
ふだんはそれぞれ別個に制作をしているが、深夜ともなると自ずと隣室の気配が伝わってくる。こんな時間にまだ制作を続けているのだ。そう思うと不思議な一体感に包まれ、「自分もがんばらねば」と緩んだ気持ちが奮い立たされるという。
ここがオープンして間もないころ、アトリエの柿落し展を開いたことがある。その後、斎藤・田代夫妻が1、2度、作品を展示したが、この場所を不特定多数の人々に公開するのはこれが初めてだ。
そして今回は、すぐ近くに住む西野一男さんも自らのアトリエを使って展示に加わる。西野さんのお宅は理容店で、その奥隣りがアトリエになっている。筆跡の強く残る作品で埋め尽くされた部屋に入ると、その空間自体がひとつの作品として迫ってくる。
この周辺には他にも数多くの美術家が住んでいる。しかし彼らは、必要なとき以外は基本的に接触を持たない。逆に言えば必要な部分でのみつながっている。ある意味でそれは、とても今日的な人間関係のように思える。こうした開かれた関係のありようが、都市周辺地域のコミュニティを考えるうえで、大きな示唆を与えてくれるのではないかと思った。
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