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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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インドネシアでは、地位が高まるにつれ名前も長くなる。基本的に姓というものがなく、カーストで言うクシャトリアの階級を持つ者は、名前の最初にそれを示す名称が付く。ウブドではアナック・アグンやチョコルダがそれに当たる。
そして最近は、いちばん下にまた別な名前をつける人が増えている。たとえば、マンダラやスカワティーというのは父の名を引き継いだもので、それを今では姓のようにして使っているという。海外に出ると姓を聞かれることが多いため、いつからかそうするようになったらしい。
バリの王族では、族内婚や多妻制が一般に行われているため、親子、兄弟、従兄といった家族関係が非常に複雑だ。だから、ふつうはみな「一族」で済ましている。そのことで一族の結束が保たれてきたのだろう。姓を用いることがなかったのもそのような理由からだと思う。しかし氏姓が与えられることで家督が明確となり、家族としてのアイデンティティが強まってくることも事実だ。
一方で平民には階級名がない。そのかわり、出生の順にそれぞれWayan(第一子)、Made(第二子)、Nyoman(第三子)、Ketut(第四子)という呼称が与えられる。そして、ふだんは互いにこの名で呼び合っている。日本で言うと、家族でもない者どうしが「ねえ長男」「なんだい次女」という感じで会話しているわけだ。
ところでウブドの街を歩いていると、何の仕事をしているのかわからない人がウロウロしているのを目にする。街にあふれる個人商店やバイクタクシーも、充分な収入が得られるほど利用されているとは思えない。いったいこの人たちは、どうやって生活しているのだろう。
さらにインドネシアでは、2000年ごろから地方分権化が進められ、ウブドのあるギャニヤール県では、地域経済の循環を崩さないため県条例によってスーパーマーケットや映画館等の出店が禁止されているという。むしろわれわれの感覚では、ショッピングセンターや工場を誘致して雇用を増やした方が、人々の暮らしが豊かになるのではないかと思えてしまう。
その一方で村人たちは、定期的な祭礼があると総出でそれぞれの役を担いながら催しを遂行していく。特に葬儀の時などは、それに係る莫大な費用を喪主がまるごと抱え込まなければならない。こうしたお金の使い方は、合理性を旨とする私たちの目からするとちょっと異様に見えてくる。
しかし実際には、まさにこの余剰の部分がバリの経済を支えているらしいのだ。お金というのは、お金のあるところに集まる性質を持っている。そこで彼らは、ポトラッチと呼べるようなこうしたお金の使い方をすることで、それを再びお金の無いところに分散させていたのである。つまり、市場とは縁のない循環型の財産移譲を繰り返しながら、旧来のバリ島の生活と文化を受け継いできたわけだ。
そんなウブドでも、近年は島外からの情報が絶えず入ってくるようになった。そのため若者たちは、祭礼等の慣習を受け継ぐのを嫌う者も増えてきている。王家にあってさえ、旧来の儀礼が徐々にあいまいになってきているそうだ。
そうした中でケイコさんは、この王家の中でも特別な存在になっている。同じ一族であることには違いないのだが、同時にはっきりと異なる文化を持った他者なのである。そして他者の視点を持っているからこそ、彼女にはバリ島民以上にバリの文化がよく見える。
ケイコさんは、自分は「枠」の人だと言った。若いころから日常の中にある規範を意識しながら生きてきた。その場その場で、常に自分はどうふるまい何を語るべきかを考えていた。それは、そこに流れる文化を自ら体現していく作業に他ならなかった。
一方で「枠」というのは形式のことであり、その内側に含めるものまでは規定しないという性質がある。言い換えればそれは、物事を円滑に循環させるための一種の通路でもある。だから同じ作法であっても、時代や地域によって随意に意味を変えていくことができるのだ。
バリ島の経済も今、資本主義の影響で大きく揺れ始めている。それは、民主化のひとつの流れとして避けられないものなのだろう。そうした中でケイコさんの「枠」意識が、この土地の規範を壊すことなく、その中身を柔軟に入れ替えながら新たな段階へと進めさせるのではないか。そしてそれが、バリがケイコさんを呼び寄せた理由であり、ケイコさんがバリに留まり続けた理由でもあったのだと思う。(つづく)
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