また「創発」の季節がやってきた。今年で4回目となるが、やはり今までとは少し心境が異なっている。これまでは美術界のシステムが徐々に変わっていってくれたらよいと思っていたのだが、もうそんな悠長なことは言っていられない気がしてきたのだ。一時も早く足元を固めなおさなければならない。このままだと日本は本当に沈没してしまう。
今回の「創発」は25件の団体と個人の参加となった。例年より少し少なめだ。「国際野外の表現展」の3件分の展覧会が行われなかったことが大きいが、途中棄権もいくつかあり、何となく心理的な影響も感じざるを得ない。しかし、創発マップのあいさつ文にも書いたことだが、「こんなときこそ現代美術」という意気込みでやっていきたいと思っている。
さて、今回、初めて参加する加藤孝一さんについては、かつてその作品集に紹介文を寄せたことがある。 加藤さんの許可を得て、今年の創発レポートの第一弾としてその全文を転載させていただくこととした。
近代ほど自己が肥大した時代はない。自己とは、簡単に言えば「あなたではない私」ということである。この当たり前の法則を求めて、今、多くの人々がこの時代を生きている。
芸術家もまた自己を探して制作を続けているのだろう。そうでなければ、これほどまでに「個性」が重んじられるはずはない。しかし真実の自己を得るというのは、実はそう簡単なことではない。
加藤孝一は紙を使って制作を行う美術家である。紙の表面をカッターでひっかき、墨汁を撒き散らす。それを水で洗うと、その傷には墨の跡が残る。そこに浮かんだイメージをすかさず捕え、今度は絵具やクレヨンで叩きつけるように塑形していく。
紙を貼ったり剥がしたり。破れればその裏から紙を貼る。さらには裏にも描き進む。ここまでくると、ようやく紙もその本性を見せ始める。めくれケバ立ちささくれ上がる。苦闘の末、紙の真の表情がその表面に立ち現れるのだ。
加藤は埼玉県小川町に生まれた。小学校時代から絵は得意だったと言う。しかし卒業してからというもの、美術とは縁のない生活を送っていた。年月が過ぎ、学校の授業で絵具を使うわが子の姿を見たとき、忘れていた衝動が加藤の中にふと蘇ってきた。
初めは、鉛筆で構図を取りその上に彩色するという、一般的な方法で制作していた。ところが何点か描くうち、対象が変形され、色彩はふんわりとぼかされていった。誰に教わったわけでもないし、かつてそのような絵を見たこともなかった。それは、内から湧き出た心象風景としか言いようのないものだった。
作品がまとまったので加藤は個展を開いた。また、いくつかの公募展にも出品してみた。作品は審査員から高く評価されたが、加藤は以降、公募展に出さなくなった。自分のやり方が的外れでないのを確認できたことで、目的は達成されたのだった。以降、加藤は個展に的を絞り、その回数はすでに40回を超えた。(つづく)
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