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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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秩父を中心に行われていた田島一彦氏の木版画を通したユニークな授業は、戦後の自由画教育運動の中で全国から注目されていた。 戦後間もなく小鹿野町に生まれた浜田賢治さんもまた、小学生時代からその薫陶を受けた1人であった。
浜田さんはそのまま美術の道へと進み、やがて日本美術会が開設した美術研究所に通うようになる。そこでは、森芳雄氏や高田博厚氏といった日本美術会の会員たちが指導していた。彼らは皆、新たな美術の流れを生み出しつつあった美術家たちで、アトリエは常に熱気に満ちていた。浜田さんはそこで吉井忠氏や寺田政明氏らに師事し、間もなく主体展に出品するようになる。
ここでは人物画や静物画を中心に描いていたが、モチーフとして用いていた器類に関心を持ち出す。特に土器や常滑の器に興味を引かれたという。実は浜田さんは、小学生のころから考古学に親しんでおり、個人的に家の周辺の発掘を行っていた。石器と自然石は一目で区別がつき、どの辺を彫れば土器が出るかも直観的にわかった。そうした下地が活かされ、骨董に対する鑑識眼は一気に高められていった。
29歳にして現在の場所に自らの骨董品店を開く。名前は「アトリエ古都」とした。日本の近代を象徴する「アトリエ」と、歴史ある地域を示す「古都」という言葉を合体させたのだ。浜田さんはその片隅で絵を描き続けていた。この生業は、美術家としての生活を維持するための大きな支えとなった。
浜田さんの骨董への知見は、作品の内容にもさまざまに影響を与えている。たとえばその艶やかな絵肌は、李朝白磁の器に例えられたこともあった。また作品に現れる有機的な曲線は、経年変化が生み出す自然な曲線美を映し出しているようでもある。
具象表現に行き詰まったため主体展を離れ、自由美術展に出品するようになる。このころからいくつかのコンクール展にも出品し受賞するが、団体展の先輩たちの反応は冷ややかだった。自由美術展には都合13年間出品したが、それ以上居続ける必然性は感じられなくなった。そして発表活動の中心は画廊での個展へと移っていく。
ところで戦後、秩父周辺からは独自の個性を発揮した画家が少なからず輩出されている。しかし、そうした作家たちの足跡が系統立てて紹介されることはあまりない。こうした状況の中で浜田さんは、秩父において美術のムーブメントを興すべく画策するようになった。新たな傾向の制作を行っている美術家は、ここにもけっこう住んでいるはずなのだ。
1996から98年にかけて、「点と点」という展覧会が行われることになる。市立図書館の展示室を中心に、秩父市内の数か所の会場を使って行うという企画だった。結果として多くの入場者を導引することができたのだが、ついにこの事業は新たな展開を見ることなく収束していった。
秩父というのは、埼玉の中でも特に人間関係の濃い土地柄である。それは秩父夜祭の運営に顕著に見られる。そのため一定の共通理解を逸すると、なかなか物事が進みにくくなるのだ。ところが近代以降の美術というのは、本来的にそうした秩序を超えていこうとする傾向がある。そのへんが秩父で展覧会を続けることの難しさだったのだろう。
今回は、アトリエ古都を使って近内眞佐子さんとの2人展を行うことになった。近内さんはさいたま市でアートプレイスKという画廊を営んでおり、そちらで浜田さんの展覧会を何度か開いている。画廊と美術教室を運営しながら、さらに作品制作も行っている人だ。
「点と点」のときに比べれば、この展覧会は本当に小さな一投だ。しかし場合によっては、大きな一投より小さな一投が効果を持つこともある。そもそも社会状況が、さまざまな意味で当時と違ってきている。歴史軸と空間軸を文字どおり兼ね備えた「アトリエ古都」。ここを足掛かりとして、秩父固有の伝統を守りながらもそこで完結することなく、同時に外に向けて関係を拡げていけるようなダイナミズムが生まれたらおもしろいと思う。(おわり)


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