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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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五十路のチビジ
埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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遅れてやってきた最先端-川越の「彫刻のある街づくり」(その2)
2011/10/20 (Thu)
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時代は遡り1968年のことである。川越の外れの伊佐沼のほとりに卸業者のための卸売団地が開設され、その運営母体として川越卸売商業協同組合が結成された。最初は26社の入所だったが、規制緩和や情報化、円高等の影響で流通産業が拡大し、1988年には土地を拡張して49社を擁する大所帯となる。ところが、間もなく流通機構の改編により卸部門と小売り部門の統合が進み、単独の卸売業者の数は減少していった。
そんな中で1995年、同組合は設立後四半世紀経たことを機に名称を「(協)川越バンテアン」と変え、組合活動の心機一転を図ることにした。フランス語で21を意味する「バンテアン」という言葉は、企業としての社会責任を果たすことを目指す、文字通り21世紀型の新たな協同組合づくりへの意気込みを示していた。
さらに時が経ち、川越バンテアンでは、設立40周年に向けて新たな事業の立ち上げが検討されていた。このとき齊藤と三上はとうに青年会議所を卒業し、特に齊藤は川越商工会議所会頭および川越バンテアン理事長という川越の今後を担う立場になっていた。三上とともに事業案を練りながら、齊藤は、川越をさらに充実した街とするためには文化力の向上が不可欠だと考えるようになった。そのとき2人の心に、彫刻による街づくりを目指した30数年前の思いが熱く甦えっていたことは想像に難くない。
齊藤に限らず、川越バンテアンには川越商工会議所の会員を兼ねている者が数多い。そこで商工会議所との機能分担も必要となる。商工会議所は街に密着しているため、利益を地域に還元することで事業実績も必然的に伸びてくる。そのため、そこで行う地域貢献活動は即効性のあるものに向きやすい。
一方で、では流通を担う卸商組合にはいったい何ができるのか。営業実績に直接結びつかない分、却って長期的な展望に立った事業が考えられるのではないか。そのためには、さまざまな文化体験を促し新たな川越を創造するための拠点づくりが有効だろう。そしてそれならば、芸術家支援と芸術愛好家層の拡大を図るための新たな施設を建設しようではないかという結論に達したのだった。
いよいよ「川越バンテアン創立40周年事業実行委員会」が立ち上がり、常務理事だった小谷野和博(現理事長)が実行委員長に着任した。彫刻に焦点を当てた事業を行っていくことも川越バンテアンで承認された。彫刻家が作品を制作して人々と交流し、できれば産地直売も行えるような場所にしたい。そして市民との信頼関係を深めるため、できるだけ決まった作家に使ってもらおうというのだ。公共的な事業として不特定多数の美術家を紹介することはよくあるが、このように特定の彫刻家を継続的に応援していこうというプロジェクトは日本ではあまり例がなかった。
実行委員たちは、ここで制作を行う彫刻家を探し始めた。維持費はすべて工房側が負担し、電気代だけを美術家が支払うという条件だ。この展開もまた35年前を思い出させる。当時と異なるのは、今回相談を持ちかけたのが、あのとき川越に呼ばれてきた田中であったということだ。田中はさっそく委員会の要望に応えられるような彫刻家に声をかけ、田中に加えて岩間弘、奥野誠、平井一嘉の4人がこの工房に入所することとなった。
2010年3月31日、新たに整備された「伊佐沼冒険の森」の一角に「伊佐沼工房」がオープンした。市長も出席して、華々しいセレモニーが開かれた。ここはNPO法人として運営されることになり、齊藤が初代理事長に就任した。川越バンテアンに加え、商工会議所や観光協会からも多くのメンバーが参加した。そしてその8月、大任を終えた齊藤が理事長を引退し、工房の運営は新たに理事長となった小谷野の手に引き継がれた。(つづく)
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【創発2011レポート】
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