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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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「Kawaguchi Asian Art Project」masuii.R.D.R Galley & Shop、8月31日(月)~9月6日(日)
「Photo Cruising Kawaguchi」masuii.R.D.R Galley & Shop、9月21日(月・祝)~27日(日)

 masuii.R.D.R Galley & Shopは、1階をギャラリー、2階を設計事務所として2004年にオープンした。R.D.Rとは、リノベーション・デザイン・ルームの頭文字から取っている。2007年に2階の事務所が移転したため、以降、1、2階ともに画廊として運営することとなった。
 画廊を主宰する増井真理子さんは、大学でデザインを専攻したあとネット・オークション会社でアルバイトしていた。事務所の方は母や兄が運営していたが、そこに増井さんが呼び戻され、1階のギャラリーを任されることになった。
 展覧会を行うにあたり、この空間にふさわしい作家を探していたところ、地元の画家の永瀬恭一さんに行き当たった。柔らかな色彩の組み合わせやどんな空間にも溶け込んでいく筆致の流動性が、増井さんの心を捉えたのだろう。
 一方でこの画廊では、工芸関係の作品の展示も積極的に行っていくことにした。増井さん自身がデザイン専攻であったこともあるが、工芸品が置いてあることで現代美術に関心のない人も入ってきてくれるのではないかと期待した。以降、現代美術と現代工芸はこの画廊の2本柱になっていく。
 ところが、画廊を開けたものの表を通る人はなかなか中に入ってきてくれない。あるときひとりの作家が、展覧会に関連したワークショップを外で行い、その成果をこの画廊で展示するという計画を立てた。すると、ワークショップに参加した人たちが次々と画廊に入ってくるではないか。子どもたちと家族が集まった画廊は、まったく違う空間のように見えた。
 それを機に、増井さんの目は画廊の外に向けられるようになる。そうした方向性が結実したのが、昨年、西川口周辺の商店街を使って行われた「西川口アートプロジェクト」だった。今年はさらに焦点を絞り、「Kawaguchi Asian Art Project」を行うことにした。日本とアジアそれぞれ2人ずつのアーティストの活動を、前期と後期に分けて紹介するのだ。
 9月にはその後期の展示が行われる。出品者には、観客との関わりの中で生まれてくる作品を出品してもらうよう依頼した。福島佳奈さんとミャンマーのMoe Sattさんは、それぞれ展示とパフォーマンスを並行して行うことになっている。
 川口にはアジア系の人たちがたくさん暮らしている。せっかく身近にいる彼らの文化をもっと知りたい。今後はアサヒアートフェスティバルに参加して、活動の幅をさらに広げてゆきたいと、増井さんの抱負は尽きない。日本人の意識の国際化は、まだその緒に就いたばかりである。
 また9月の後半には「Photo Cruising Kawaguchi」が行われる。これはアート・コーディネーターの篠原誠司さんが中心となり、川口に関わりのある写真家に呼びかけて行うものである。いずれの企画も、川口の地域性に切り込んでいこうとする意図が明確に現れている。

(090716取材)

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「金子健二遺作展Ⅲ」ギャラリー健、8月23日(日)~9月6日(日)
「てれどろ特別展」ギャラリー健、9月13日(日)~27日(日)

 8月から9月にかけて、中浦和駅前にあるギャラリー健では「金子健二遺作展Ⅲ」が開かれる。この画廊で行われる同氏の遺作展の第3期目である。
 金子健二さんは1948年、宮城県に生まれた。東京藝術大学大学院彫刻専攻を修了後、現在の場所に共同アトリエとして「浦和造形研究所」を開設する。彫刻家として活動を行う傍ら、研究所内に子どもの造形教室を開設し、また1987年には大人のための教室も併設した。
 一方で、子どもの造形教育を通して得た知見を生かし、1996年から「臨床美術」と名づけた独自のアートセラピーの研究を開始する。その成果を基盤として2002年には「日本臨床美術協会」を立ち上げ、今日、大きな社会問題となっている認知症などの精神疾患に対して効果的な治療法を提供している。(*)
 さて、浦和造形研究所は現在、子どもの造形教室から大人のための制作指導まで幅広く行う美術造形教室となっている。金子さんはさらに、美大を卒業し美術家を目指すようになった人たちが作品発表できる場を作りたいと考えていた。ギャラリーの開設は、美術のためにさまざまな環境を整備してきた金子さんの最終的な目標だったのだ。
 ところが2007年の11月、目的半ばにして金子さんは逝去する。その意思を継ぎ、翌年の7月、未亡人の清子さんがついにオープンさせたのがこの「ギャラリー健」だった。生前、関わりのあった大勢の人たちによる開廊記念展を皮切りに、研究所の講師たちの展覧会が立て続けに行われた。そして最近は、清子さんの視点で選んだ美術家に展示を依頼しながら、今後はさらにさまざまな人に使ってもらう方法を模索している。
 現在は、美術家の雨海武さんの協力を得て新たな展開を図っている。この画廊の第一の特徴は、何と言っても美術造形教室が経営しているということだ。事業を行うに当たり、講師や生徒たちの力をうまく導引することで大がかりな催しも不可能ではない。また雨海さんは、周辺の文化資源や人的資源を取り込んだ有機的な事業展開も視野に入れているようだ。
 ちなみに「金子健二遺作展Ⅲ」の終了後、9月13日からは「てれどろ特別展」と題して、若手作家たちの企画による実験的な展覧会が行われる。8月15日の平和記念日に、それぞれの人がそれぞれの場所で描いた絵をこの画廊に持ち寄り、一堂に展示するという試みである。美術という言葉を旗印に、ここから何かが動き出す予感がある。

(090710取材)

*「臨床美術」に関する問合せ
株式会社 芸術造形研究所
〒101-0062東京都千代田区神田駿河台2-1 OCCビル7F
電話:03-5282-0210


「二つの扉」ギャラリー・エル・ポエタ、庭園ギャラリー櫻守、9月3日(木)~13日(日)
「井上茉莉子展」ギャラリー・エル・ポエタ、9月22日(火・祝)~27日(日)

 1979年、大宮の氷川神社沿道にギャラリー・エル・ポエタがオープンした。ここを開設したのは、都内の建築事務所で設計の仕事をしていた村田(現・小林)君子さんだった。ちょうど売りに出た物件を購入し、そこを改築して1階を画廊喫茶に、2階を住居にした。これは当時、流行し始めていた建築リノベーションを自ら試みる実験でもあった。
 ギャラリーでは当初から、現代美術作品を展示しようと考えていた。最初に行ったのはエサシトモコさんの個展だった。エサシさんは今、鎌倉住まいだが、当時は大宮市内に住んでいた。彼女の周辺にはなぜか外交的な美術家が多く、このギャラリーにもすぐにたくさんの美術家が集まるようになった。村田さんもまた、ここがそのような場所になることを望んでいた。
 エル・ポエタは、画廊喫茶ではあるが、展示空間と喫茶空間が微妙に分かれているのが特徴だ。壁に絵を掛けるだけでなく、ある程度、その空間を使ったインスタレーション的な展示も可能である。そこで中には、展示空間と喫茶空間を何とかつなげようとする作家も出てくる。
 ふつう美術作品は、画廊や美術館といった無機的な展示空間に飾られることが多い。しかしエル・ポエタでは、空間自体が強烈な個性を持っているため、作品はまずこの空間によって視覚的な洗礼を受けることになる。雰囲気だけの作品ではとうてい太刀打ちできないのだ。その意味でここでは、空間が作品を選んでいると言えるのかもしれない。
 一方で小林文武さんが、贅を凝らした和風住宅を建設し、「庭園ギャラリー櫻守」という名で画廊をオープンしたのは2001年のことだった。小林さんは代々、大宮公園の桜を管理する家柄に生まれた。若いころから美術に親しみ、いつからか作品を買い求めるようになっていた。
 このギャラリーでは最初、川村親光、小川游、塗師祥一郎といった県内の大御所の展覧会を開いていた。しかし、間もなく手詰まりとなり、小林さんは、近所にあったエル・ポエタの村田さんに、企画に関して協力を仰ぐこととなった。
 村田さんはこちらでも、やはりできるだけ現代的な美術作品を紹介するよう努めた。最初は違和感を持っていた小林さんも、そうした作品を見続けるうち、具象画特有の押し付けがましさがなく、かえって心を和ませる抽象画があることを知るようになった。
 最盛期には展覧会だけでなく、井上尭之氏にギター演奏を頼んだり、名だたる神社の神職や巫女さんたちを呼び大がかりな雅楽の演奏会を催したりと、さまざまなイベントも行った。しかしこの経済的な低迷を受け、その賑わいもここ数年は差し控えるようになった。
 現在は作家を厳選し、年に2回ずつ展覧会を開いている。「貸しスペースにするなら閉じておいた方がよい」という言葉に、小林文武さんの文化に対する自負を感じる。ちなみにエル・ポエタの村田さんは、今は姓が小林に変わり、引き続き2つのギャラリーの企画に携わっている。
 ところで9月の前半には、エル・ポエタと櫻守の同時開催で徳永雅之さんと馬場健太郎さんによる「二つの扉」展が、そして後半にはエル・ポエタで井上茉莉子さんによる日本画の展覧会が開かれる。徳永さんはこちらの画廊で何度か展覧会をやっているが、今回は馬場さんとの初めての2人展となる。関連イベントも多く用意されており、中でも櫻守の建物の施工管理者によるレクチャーは、小林文武さんのこだわりを知るうえで貴重な機会となるだろう。

(090715取材)


森田順子+赤松功「語る椅子」展 ギャラリー亜露麻、8月30日(日)~9月13日(日)

 「語る椅子」展は、画家の森田順子さんと美術家の赤松功さんによる2人展だ。会場となるギャラリー亜露麻は、1階を喫茶店、2階をギャラリーとして営業している。
  森田さんは初め、絵画のグループ展に出品していたが、自分の作品がその場の空気に合わないと感じるようになり、現代美術の作家たちと活動をともにするようになる。椅子を手がかりとし、ランダムな直線で画面全体を埋めていく作品を制作してきたが、近年は椅子の形態も消え、線だけのオールオーバーな作風となっている。
 一方の赤松さんは、木を素材として制作を行う造形作家である。初め、丸太の表面に緊密に釘を打ち続けていく、肉体派的な制作を行っていた。ところがあるとき体調を壊し、その後は紙の上に細かい点を延々と打っていく作品を制作するようになった。
 1998年、赤松さんは飯能市内にあるわたなべ画廊から、木の扱いの経験を見込まれて家具の制作を依頼された。家具づくりは自分の仕事ではないと思いながらも、再び木と関われることに気持ちを動かされた。ところが、そこで発表したオリジナル家具が思わぬ反響を呼び、その後も注文が相次ぐ。心の葛藤を押さえながらも、最近は椅子やテーブルの形状を持った造形作品を制作するに至っている。
 2003年、森田さんの作品を購入したあるコレクターが、その作品を長野県東御市にある梅野記念絵画館の展覧会に出品することになった。森田さんは会場で、同館館長の梅野隆氏のお嬢さんである佐藤雅子さんと知り合った。佐藤さんはそのとき、東松山にあるギャラリー亜露麻での企画を行っていた。佐藤さんは森田さんに亜露麻での展覧会を依頼することにしたが、そのときふと、赤松さんとの2人展とすることを思いついた。
 2004年に行われた第1回の「語る椅子」展は、森田さんと赤松さんのまさにコラボレーションとなった。家具という共通のモチーフにより会場に統一感が与えられた。立体と平面の組み合わせだったため、場を補完しあえるというメリットもあった。作品の配置について心おきなく言い合ったことで、さらにそこには遊び心のある空間が生まれていた。
 来場者に好評だったため、この展覧会は3年に1度ずつ開くことになった。2007年には第二回展が開かれたが、間もなく佐藤さんは、梅野記念絵画館で父の補佐をすることになった。そこで3回目となる今回、この展覧
会は時期を1年早めて今年行うこととなったわけである。
 東松山は決して文化意識の高い町とは言えないが、そんな中でもギャラリー亜露麻は非常に上質な雰囲気を醸し出している。喫茶店の来客も美術に対して関心が高く、展覧会ごとの再開を喜んでくれる人も多い。これも地方で展覧会をやる楽しみだと、2人は9月の展覧会を今から心待ちにしている。

(090728取材)


 いよいよ「創発2009」の開催が間近に迫った。「創発2009」とは9月に埼玉県内で行われる展覧会をホームページ配信やマップ配布によって紹介していくもので、NPO法人コンテンポラリーアートジャパンが主催する「さいたま美術展<創発>プロジェクト」の本年度事業である。詳しくはリンク先にある同ホームページを参照いただきたい。
 今年は総勢27件の展覧会がエントリーされた。開催に先立ち、それぞれの催しの責任者とお会いして、会場のことや現在の進捗状況、今後の展望等について話を聞いた。このブログでは、これから順を追ってそのレポートを掲載していく。



第一回所沢ビエンナーレ美術展「引込線」西武鉄道旧所沢車両工場、8月28日(金)~9月23日(水)

 所沢ビエンナーレの第一回展となる今年の実施内容について、実行委員会代表の中山正樹さんに話を聞いた。
  昨年の所沢ビエンナーレ・プレ展では3,000人の入場者を目標としていた。ところが最終的に、17日間で全国から4,761名の来場者を得ることができた。それぞれのアンケート用紙に書かれた感想を見ると大方、好評であったが、中には「作品が空間に負けている」という手厳しいものもあった。一方で木村幸恵、戸谷成夫、中山正樹などの立体作品と布を使った手塚愛子の作品などが比較的評判よかったそうだ。こうした特殊な空間の中では、制作にかけられた行為の密度が訴える力となるのかもしれない。
 絵画作品については「展示が見にくい」「カタログがモノクロで残念」という意見が多かった。それを教訓に、今回は会場内に100メートルの壁面を作り、またカタログにはカラー・ページを加えることとした。こうした配慮により展覧会にかかる費用は一段と増したが、文化庁や花王、朝日新聞社、武蔵野美術大学などからの助成金が得られたため、結果として出品者と執筆者の負担金をそれぞれ昨年の半額に減らすことができた。
 この催しは7人の実行委員によって運営されている。実行委員は基本的に地元在住の美術家であるが、その他の出品者は全国さらに海外にも及んでいる。まず昨年の出品者から推薦を募り、そこから作品領域等のバランスを考えて新たな出品者を選んだ。また、文化庁の助成金が人材育成枠であるため、若手作家をできるだけ多く加える配慮もした。その結果、出品者36名、テキスト執筆者27名の顔ぶれとなった。
 昨年のプレ展の会期中、西武鉄道の社主が来場し社内ブログで紹介してくれたため、それ以降、同社の社員が頻繁に来場するようになった。西武鉄道としては、この場所が存続する限り会場を提供してくれそうな気配だ。一方で昨年は、所沢市から人的な協力を得ることができたが、今回それはほとんどなくなった。
 この展覧会では、物質と行為の交換から生まれる表現を大切にしてゆきたいと中山さんは言う。人間の精神は事物(事→物)と物事(物→事)の往復によって成り立っており、それこそが美術の最も重視するところだからだ。作者が物や事とリアルに出会うのは、言うまでもなくその基盤となる生活の場である。今、美術が真に求めているのは土地との関係、すなわち地縁の力を回復させることではないか。
 生活の場には、日常と非日常の世界がある。日常にはさまざまな規範が混在しているが、非日常はひとつの約束事によって成り立っている。この2つが両立することでコミュニティは完成する。ところが現在は批評のない時代だ。そのため、非日常であったはずの美術館さえ日常空間となってしまっている。たとえこの世から美術館がなくなっても、美術には非日常空間を創り出す力があることを示したいと、この催しに対する中山さんの意気込みは高まる。

(090717取材)

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