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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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「柳井嗣雄新アトリエ展」柳井嗣雄アトリエ、9月19日(土)~23日(水・祝)

 柳井嗣雄さんの新アトリエは、木々と山々に囲まれた名栗川沿いにある。私が訪ねたとき、柳井さんはアトリエ改修の真っ最中だった。人に頼むとお金がかかるので、できるところは自分で改修をしているのだという。そしてこの工事が終わると、次は大がかりな引越し作業が待っている。
 ここは建具屋さんの住居兼仕事場だったところだ。そこが空き家となり、売りに出ていた物件を買った。二階建ての住居と平屋の作業場があり、庭を挟んで奥には物置小屋もある。この作業場の部分を、展示にも使えるように改装していたのである。
 柳井さんは、長く国立市にある自宅を兼ねたアトリエで作品を制作していた。そこが使えなくなり、新たなアトリエを探していたのである。制作の傍ら、国立の文化施設で月に1度ずつ紙漉きや紙の造形のワークショップも開いていた。「和紙アートの会」と名づけられたこのワークショップには、延べ50人ほどの人が登録していた。
 柳井さんはこの他に、埼玉の皆野にもアトリエを持っている。大きな作品はそこで作るのだが、自宅から車で3時間ほどかかるのでワークショップの人たちに来てもらうのは無理だ。その点、この新しいアトリエができると1時間ほどで来られるし、広い家があるので泊りがけのワークショップも可能になる。
 ここでは大型和紙を漉くための設備も入れるという。地元の植物を使った創作和紙も作ってみたい。将来的にはワークショップ参加者とともに、共同アトリエのような形で使っていけたらよいと考えている。
 9月のアトリエ展では、杉の皮を使ったインスタレーションが展示される予定だ。この作品の制作は、まず製材所で杉の皮を剥がす作業から始まる。皮をそのまま煮込んで繊維状にし、それを再び杉皮のように成形して乾かすのだ。そうして作られたこの作品は、すでに何か所かでインスタレーションとして展示してきた。今回、この作品が、飯能の自然環境とどのような響き合いを見せてくれるのか楽しみである。

(090728取材)

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「田代絢子銅版画展」ギャラリー麦、9月17日(木)~27日(日)

 長く市役所勤めをしていた栗原梅次さんは、2005年に脱サラし、新狭山駅前に喫茶店を兼ねた「ギャラリー麦」を開設した。地元の絵画サークルの人たちの発表の場として会場を提供するとともに、実績のある美術家の展覧会を定期的に開いている。ここでこの9月に行われるのが、田代絢子さんの展覧会である。
田代さんは福岡県出身の銅版画家だ。佐賀大学教育学部特設美術科専攻科修了後1970年に渡仏する。同じ時期にフランスに来ていた画家の斎藤輝昭さんと2年後に現地で結婚し、1985年までここで生活することになる。
 渡仏後間もなく、田代さんは、ヘイター(S.W.Hayter)が主宰する「アトリエ17」を訪れる機会を得た。ヘイターは画家であると同時に、版画の世界を大きく革新させた版画家でもあった。かつてはカルダー、ダリ、エルンスト、ジャコメッティ、ミロ、ピカソ、シャガールといった著名な美術家がこのアトリエで制作を行った。そんなことも知らぬままそこで版画の奥深さに魅入られた田代さんは、その場で銅版画をやることを心に決めた。入所するのに1年待たされたが、その後の5年間、ここで学んだ版画の技術と精神は何物にも代えがたい財産となった。
 版画には、何もないところから像が現れてくる楽しさがある。版から紙をはがすときのあの緊張感と期待感が、これまで田代さんを版画制作の虜にさせてきた。また1点の作品を複数の人でシェアできるのも魅力で、そこには独占ではなく共有することの喜びがある。
 さて帰国が目前に迫ったころ、友人の紹介で、たまたま狭山市にアトリエを持つ人と会った。そこで田代さんたちは、帰国後そこを借りて住むことにした。狭山を拠点として東京で個展を行う他、それぞれの出身地である福岡県および福島県の画廊でも精力的に展覧会を行った。
 1999年、入間市に「アトリエキャトル」という共同アトリエができ、周辺に住む美術家がここで制作を行うようになった。田代さん夫妻もその当初からのメンバーである。ここには埼玉県西部地域の美術家がよく訪れる。田代さんは、この場所を基盤に、今後、この周辺に住む美術家たちと緩やかな連携を結んでゆきたいと考えている。

(090717取材)


「国際野外の表現展2009比企」東京電機大学鳩山キャンパス、東松山千年谷公園、9月15日(火)~10月12日(月)
「国際野外の表現展2009比企」川越市立美術館市民ギャラリー、9月22日(火・祝)~9月27日(日)
「国際野外の表現展2009比企」ギャラリー亜露麻、9月22日(火・祝)~10月3日(土)

 今年の「国際野外の表現展2009比企」の特徴について、実行委員会代表の小野寺優元さんに話を聞いた。
 今年の新たな出し物としては、まず石川雷太さんがノイズによるサウンド・ライブを行う。「ノイズ」とは、音楽に昇華されていないナマの音表現のことで、そこには電子音や自然界の音が含まれる。ところが新たな「ノイズ」が発見されるたび、それはミュージシャンたちに次々と取り入れられていく。そうすると、それはすでに「ノイズ」とは呼べなくなる。だからこそ彼らは、いつまでも新たな「ノイズ」を探し続けることができるのだ。
 このライブのため、電機大学情報通信学科の技術協力を受けることになった。さらにそこに舞踏家による身体表現が加わる。電機大学の会場内には、あちこちに人知れぬ隠れ場所がある。そのようなノイズにふさわしい空間を探して、連続パフォーマンスを行うらしい。これは、滞在型のアートキャンプ的なイベントとなっていくのだろう。
 また野焼きのワークショップが今年で3回目となる。会期中、出品者や学生、来場者らに粘土のオブジェを作ってもらい、それらを秋に大学の校内で大々的に野焼きするのである。このような大がかりな野焼きのできる場所は、県内にもそうないだろう。夕暮れ時、火柱が立ち上るその光景も見ものだそうだ。
 ところで、比企には関東三大古窯のひとつがあり、この試みはそうした歴史の再考も目論んでいる。さらに今回は、小川町の紙業試験場跡地で和紙の開発を行っている和紙研修会の人たちが、提携イベントとして参加する。美術家たちの力を借りながら、和紙製品の新たな可能性を探るのである。これからは紙、養蚕、焼き物など、比企の地域性に根ざしたテーマも視野に入れてこの事業を展開させいくそうだ。
 この催しは高い公共性を有していると小野寺さんは自負する。そのため、これまでさまざまな形で市や県といった自治体に協力を呼びかけてきた。しかしそれに対する反応は冷たかった。公務員というものは、理解できることしか受け入れない人種なのだろう。それよりむしろ、彼らの中でこうした活動に関心のある人を役所から外に連れ出した方が手っ取り早い。小野寺さんが川越でやってきたアート・イベントなどはその成功例である。
 催しを行うときは、展開していくための仕組みづくりが肝心だと小野寺さんは言う。中でもNPOどうしの連携などは特に有効だ。一致団結するというより、同じ方向を向いている者どうしが併走していくのである。小野寺さんの柔らかな語り口の中に、硬直した行政システムをその外側からゆっくりと締め上げていく真綿のような力を感じた。

(090722取材)


「いのちを見つめる」展、ノースギャラリー、9月15日(火)~23日(水・祝)

 「いのちを見つめる」展は、美術家を中心とした「element」というグループが行っている。elementはこれまで都内で3回、ニューヨークで1回、横浜で1回、名古屋で1回、計5回の展覧会を行ってきた。埼玉では初めての開催となる。
 代表の高草木裕子さんは上尾に住んでおり、ご主人が自宅近くで菜園を営んでいる。獲れすぎて年を越し、食べる時期も植付けの時期も逸した小粒のじゃがいもがあった。水も土もなく萎れきっていたにもかかわらず、その塊からは、暗闇の中で微かな光を求めるように赤く細長い芽が伸びていた。新しい命へ転生しようとするその姿に心を動かされ、高草木さんはデッサンを開始した。
 自分にも子どもがいる。この命は子どもへとつながっている。そして、じゃがいもを食べることで自分たちの生は保たれている。一筋縄では語れない生命活動。それが、今回の展覧会のテーマを「いのち」にしようと思ったきっかけだった。
 さまざまな思いが表現の対象を変えていく。たとえば今、食べ物の元の姿が非常に見えにくくなっている。ものごとの真の姿を見極めるのは美術家の使命である。対象を深く「見つめる」ことで、その「いのち」をどう捉えるべきか考えるのだ。そこで見つけた答えは、必ず人に伝わっていくはずである。
 会場となるノースギャラリーのことは、以前、タムラサトルさんの展覧会を見に来たときに知った。第一に展示室の広さが気持ちよかった。それと、ここが複合施設であるため、美術関係者以外の人が多く出入りするところも気に入った。美術と社会の関わりを求めるelementにとって、多様な人たちに見てもらえることは重要なポイントである。
 実際、この展覧会では、会期中、ライブ演奏やレクチャーなどの関連イベントが盛りだくさんに用意されている。出品者の高橋理加さんによる「野菜の花を見つけよう!」と題したワークショップや、インターネットで活動を知り依頼したというハンガーフリーワールドの講演などなど。これらもまた、さまざまな関心を持つ人たちとの出会いの糸口となっていくのだろう。

(090711取材)


「つながりしもの」ギャラリー遊動天都、 9月14日(月)~30日(水)

 早川聡子さんは長く浦和に住んでいた。たまたま北本に来る用事があり、そのときここの自然観察公園にも立ち寄った。そして、このような恵まれた環境の中で子育てをしたいと思うようになった。その思いはついに2002年に実現する。
 早川さんは東京藝術大学日本画科の出である。在学中、野口三千三氏に出会い、野口体操を知った。それからというもの、野口氏の言葉から触発された表現を次々と実践するようになる。ライフワークの中でエネルギーを蓄える。人々との関わりを通してそのエネルギーを送り出す。自己というのは決して完結したものではなく、常に関係の中で活かされているのだ。そこには、重力を利用することでしなやかな動きを身に付けていくという、野口体操の真髄がある。
 早川さんは一貫して和紙を使って制作してきた。私が訪ねたとき、ギャラリーには和紙を編んだ作品のシリーズが飾られていた。和紙といっても、最終的にそこにはほとんど原形が残らない。それらが完成に至るまでには、想像を絶する制作工程が秘められている。
 まず和紙一面に般若心経を書いていく。それを細長く切り無数の紙の帯を作る。次に1本1本を手で縒り、紐状にして柿渋で染め、最後に特製の編み棒を使って延々と編んでゆく。するとそこから、このような人体状の造形物や巨大な懸垂幕が立ち現れてくる。
 2004年、近くの借家から現在の家に移った。近所の人たちを集め、ここで絵画教室も始めた。間もなく家のすぐ前の空き地に目が止まった。そしてそこに、今度は自分のギャラリーを建てたいと思うようになった。これまで作り続けてきた作品たちと、しっかり向き合える場がほしかったのだ。
 ギャラリーができてからは、教室もこちらで行うようになった。9月の展覧会では、これまで制作してきた和紙の作品の何点かが並ぶ予定だ。ここを子どもたちの集まる場にしたい。そして大人たちが集える場所にもしたい。和紙は人の心を癒し、包み込んでくれるに違いない。将来は自分の作品だけでなく好きな作家の作品も併せて展示してゆきたいと、早川さんの想いは止まるところを知らない。

(090722取材)

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