3月に入り、そろそろ今年の<創発>も始動しなければならない。
今年の初め、「さいたま美術展<創発>プロジェクト」について『ギャラリー』2011 Vol.1に報告文を寄稿した。このプロジェクトのこれまでの変遷を知るのに便利なので、同誌編集長である本多隆彦氏に許可を得てこのホームページに転載させていただくことにした。
2010年11月27日、埼玉県立近代美術館の講堂には50人ほどの出席者が集まり、「9月の創発2010」のシンポジウムが行われた。各参加団体の代表者から、展覧会の実施結果についての報告があり、そこでは近隣住民を呼び込むための工夫や住民と接することで得られるメリット、また観客が長時間会場に滞在することの効果等が熱っぽく語られた。
彼らの話を聞きながら、地元で展覧会を開くにあたり、近隣住民との接触に相当に意を用いていたことが理解できた。そして、画廊で行われる展覧会とはかなり違った客層の人々が訪れ、そこで新鮮な刺激を受けたことの興奮が伝わってきた。
シンポジウムのタイトルは「美術とネットワーク」とし、そこに「開かれた地縁社会を目指して」という副題が添えられた。近代化の過程の中で、人間関係が血縁から地縁、社縁へと広がってきたという見方がある。そして今日、社縁社会が進行し過ぎたために地域の疲弊が起こり、改めて地縁の再生が求められるようになったというのだ。
しかし、そもそも社縁社会は、地縁の持つ閉鎖性を補うものとして浸透してきた経緯がある。だから、地縁をそのまま復活させたのでは問題の解決にならない。地縁を活かしながらも、同時に人間関係を閉塞させないためのネットワーキングの構築が今、注目されているというわけだ。そしてその方法論を体現しているのが、まさに現代美術のシステムではないかという問いかけが筆者にはあった。
埼玉は静か過ぎる、すべてはそこから始まった。
埼玉県立近代美術館に長く勤めた後、筆者は青森、上海と転々とし、2007年、再び埼玉県に戻ってきた。これからは静かに暮らそうと思っていたのだが、横浜トリエンナーレが始まって以来、バンクアートやらザイムやら、何かと遠くの花火が気になりだした。東京に人が集まるのはしかたがない。しかし、東京を挟んで反対側の横浜がなぜにあんなに賑やかなのか。
埼玉にも現代美術系の作家がいないわけではない。いや、神奈川県より多いくらいだ。ところが、彼らはみなここに住んで作品を作るだけで、発表の場は東京都内と決め込んでいる。美術家もまたいわゆる「埼玉都民」なのだ。何とかもっと身近な場所で、つまり生活の場で彼らの作品を見てみたい。そうした思いが湧き上がり、止まらなくなってきた。
静かとは言うものの、わずかながらも県内で行われている現代美術系の展覧会はある。そこで手始めに、それらのリサーチと紹介から始めてみることにした。
2008年、この年の9月に埼玉県内で行われる現代美術系の展覧会をウェブ上で紹介する「創発2008」を立ち上げた。このときは、「国際野外の表現展」や「所沢ビエンナーレ・プレ展」を含む7件の展覧会を取り上げ、事業の成り立ちやその意義をホームページにアップしていった。プロジェクトとも言えないこのプロジェクトは、そこで紹介された人々の反応を見るための実験という意味合いがあった。
実際のところ参加者たちには、このプロジェクトが目指すものについてあまり理解してもらえず、終わった後も積極的な支持の声は聞かれなかった。手伝ってくれたスタッフさえそんな状況だった。しかし美術家たちもまた、都内での発表の機会が確実に減っているという現状を抱えており、発表のためのモチベーションが与られるだけでも決して迷惑なことではないという感触は得られた。(つづく)