戦後の日本では数多くの美術家団体が結成された。団体に所属する美術家たちは中央での団体展と並行して、自らが住まう地域においても県展や市展といった地方展の運営を行ってきた。さらに美術教育にも携わり、地域の学生や生徒たちに作品の制作指導を行っていた。地域に密着したこうした地道な活動は、わが国に数多くの美術愛好家を育成することとなった。
一方で1970年代に入ると、画廊での個展を中心に発表活動を行う美術家が増えてくる。彼らは中央で評価を得るようになると、その後、地方に戻ることなく海外での活動へと展開していった。その結果、国際的に活躍する美術家が近所に住んでいても、その存在がほとんど知られていないという状況が起きてくる。今日の美術が人々の関心を集めなくなった大きな理由として、こうした背景があるように思われる。
本展はではこれまで、この後者に当たるいわゆる個展系の美術家を紹介してきた。そのことで、個展系の美術家が地域に根差した活動を行うための方法を模索してきたのである。しかしその実践を通して、それを実現させることの難しさをひしひしと感じるようになった。そこで改めて、これまでこうした活動を実際に行ってきた団体展系の美術家とともに、その方法論や今後の展望について意見交換を行うこととした。
パネリストとして団体展系から、久喜市文化協会会長の齋藤馨氏、県北地域の美術教育を牽引してきた中島睦雄氏、団体展と並行して個展での発表を続けている本多正直氏が参加した。また個展系からは、本展出品者の小高、小林、野原が出席し、筆者が司会を行った。
彼らの発言を通して、団体展系の美術家が主に作品を作る者どうしの輪を拡げてきたのに対し、個展系は美術家以外の人たちと関係を持つことに意を用いていることが見えてきた。意見交換を終えて感じたのは、美術を地域に根づかせるためには美術家がそれぞれの持ち場でできることをやっていくしかないということ、そして利益を共にすることについては立場の違いを超えて協力し合わなければならないということだった。
「現代美術展<分岐点>」も始まって3年目となった。当初から3回の開催を目指してスタートしたため、同展はとりあえず今回で閉幕することとなる。これで完全に終了するのか、もしくはまた何か別な形で再開するのか、まだ決まっていない。いずれにしてもこの3年間、本展開催のためご協力いただいた多くの方々に心から感謝を申し上げる次第である。
美術はこれからもなくならないし、作品を作る人も絶えることはないだろう。ただ、その在り方が大きく変わる時期にきていることだけはたしかだ。すべてのことにおいて、国で決められた基準を地方が受け入れるのではなく、地方がそれぞれに独自の価値を創造していく時代となったからだ。将来、埼玉県東北部において美術が人々をつなぐ力を再生させたとき、その変化にこの「現代美術展<分岐点>」がわずかでも加担できたとすれば、私たちにとってそれ以上の喜びはない。(おわり)
『現代美術展<分岐点>2011記録集』(2012.2.29、身近で現代美術を見る会)より