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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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森田順子+赤松功「語る椅子」展 ギャラリー亜露麻、8月30日(日)~9月13日(日)

 「語る椅子」展は、画家の森田順子さんと美術家の赤松功さんによる2人展だ。会場となるギャラリー亜露麻は、1階を喫茶店、2階をギャラリーとして営業している。
  森田さんは初め、絵画のグループ展に出品していたが、自分の作品がその場の空気に合わないと感じるようになり、現代美術の作家たちと活動をともにするようになる。椅子を手がかりとし、ランダムな直線で画面全体を埋めていく作品を制作してきたが、近年は椅子の形態も消え、線だけのオールオーバーな作風となっている。
 一方の赤松さんは、木を素材として制作を行う造形作家である。初め、丸太の表面に緊密に釘を打ち続けていく、肉体派的な制作を行っていた。ところがあるとき体調を壊し、その後は紙の上に細かい点を延々と打っていく作品を制作するようになった。
 1998年、赤松さんは飯能市内にあるわたなべ画廊から、木の扱いの経験を見込まれて家具の制作を依頼された。家具づくりは自分の仕事ではないと思いながらも、再び木と関われることに気持ちを動かされた。ところが、そこで発表したオリジナル家具が思わぬ反響を呼び、その後も注文が相次ぐ。心の葛藤を押さえながらも、最近は椅子やテーブルの形状を持った造形作品を制作するに至っている。
 2003年、森田さんの作品を購入したあるコレクターが、その作品を長野県東御市にある梅野記念絵画館の展覧会に出品することになった。森田さんは会場で、同館館長の梅野隆氏のお嬢さんである佐藤雅子さんと知り合った。佐藤さんはそのとき、東松山にあるギャラリー亜露麻での企画を行っていた。佐藤さんは森田さんに亜露麻での展覧会を依頼することにしたが、そのときふと、赤松さんとの2人展とすることを思いついた。
 2004年に行われた第1回の「語る椅子」展は、森田さんと赤松さんのまさにコラボレーションとなった。家具という共通のモチーフにより会場に統一感が与えられた。立体と平面の組み合わせだったため、場を補完しあえるというメリットもあった。作品の配置について心おきなく言い合ったことで、さらにそこには遊び心のある空間が生まれていた。
 来場者に好評だったため、この展覧会は3年に1度ずつ開くことになった。2007年には第二回展が開かれたが、間もなく佐藤さんは、梅野記念絵画館で父の補佐をすることになった。そこで3回目となる今回、この展覧
会は時期を1年早めて今年行うこととなったわけである。
 東松山は決して文化意識の高い町とは言えないが、そんな中でもギャラリー亜露麻は非常に上質な雰囲気を醸し出している。喫茶店の来客も美術に対して関心が高く、展覧会ごとの再開を喜んでくれる人も多い。これも地方で展覧会をやる楽しみだと、2人は9月の展覧会を今から心待ちにしている。

(090728取材)

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 いよいよ「創発2009」の開催が間近に迫った。「創発2009」とは9月に埼玉県内で行われる展覧会をホームページ配信やマップ配布によって紹介していくもので、NPO法人コンテンポラリーアートジャパンが主催する「さいたま美術展<創発>プロジェクト」の本年度事業である。詳しくはリンク先にある同ホームページを参照いただきたい。
 今年は総勢27件の展覧会がエントリーされた。開催に先立ち、それぞれの催しの責任者とお会いして、会場のことや現在の進捗状況、今後の展望等について話を聞いた。このブログでは、これから順を追ってそのレポートを掲載していく。



第一回所沢ビエンナーレ美術展「引込線」西武鉄道旧所沢車両工場、8月28日(金)~9月23日(水)

 所沢ビエンナーレの第一回展となる今年の実施内容について、実行委員会代表の中山正樹さんに話を聞いた。
  昨年の所沢ビエンナーレ・プレ展では3,000人の入場者を目標としていた。ところが最終的に、17日間で全国から4,761名の来場者を得ることができた。それぞれのアンケート用紙に書かれた感想を見ると大方、好評であったが、中には「作品が空間に負けている」という手厳しいものもあった。一方で木村幸恵、戸谷成夫、中山正樹などの立体作品と布を使った手塚愛子の作品などが比較的評判よかったそうだ。こうした特殊な空間の中では、制作にかけられた行為の密度が訴える力となるのかもしれない。
 絵画作品については「展示が見にくい」「カタログがモノクロで残念」という意見が多かった。それを教訓に、今回は会場内に100メートルの壁面を作り、またカタログにはカラー・ページを加えることとした。こうした配慮により展覧会にかかる費用は一段と増したが、文化庁や花王、朝日新聞社、武蔵野美術大学などからの助成金が得られたため、結果として出品者と執筆者の負担金をそれぞれ昨年の半額に減らすことができた。
 この催しは7人の実行委員によって運営されている。実行委員は基本的に地元在住の美術家であるが、その他の出品者は全国さらに海外にも及んでいる。まず昨年の出品者から推薦を募り、そこから作品領域等のバランスを考えて新たな出品者を選んだ。また、文化庁の助成金が人材育成枠であるため、若手作家をできるだけ多く加える配慮もした。その結果、出品者36名、テキスト執筆者27名の顔ぶれとなった。
 昨年のプレ展の会期中、西武鉄道の社主が来場し社内ブログで紹介してくれたため、それ以降、同社の社員が頻繁に来場するようになった。西武鉄道としては、この場所が存続する限り会場を提供してくれそうな気配だ。一方で昨年は、所沢市から人的な協力を得ることができたが、今回それはほとんどなくなった。
 この展覧会では、物質と行為の交換から生まれる表現を大切にしてゆきたいと中山さんは言う。人間の精神は事物(事→物)と物事(物→事)の往復によって成り立っており、それこそが美術の最も重視するところだからだ。作者が物や事とリアルに出会うのは、言うまでもなくその基盤となる生活の場である。今、美術が真に求めているのは土地との関係、すなわち地縁の力を回復させることではないか。
 生活の場には、日常と非日常の世界がある。日常にはさまざまな規範が混在しているが、非日常はひとつの約束事によって成り立っている。この2つが両立することでコミュニティは完成する。ところが現在は批評のない時代だ。そのため、非日常であったはずの美術館さえ日常空間となってしまっている。たとえこの世から美術館がなくなっても、美術には非日常空間を創り出す力があることを示したいと、この催しに対する中山さんの意気込みは高まる。

(090717取材)


 先だってのアメリカ大統領選挙にあたり、バラク・オバマは芸術政策として「Barack Obama and Joe Biden: Champions for Arts and Culture」というマニフェストを出した。メセナ協議会による訳文が次のサイトに掲載されている。
http://www.mecenat.or.jp/news/kmknews/special_obama.pdf

 この中に「芸術家組合を創設します」という項目があり、そこに「シカゴでの調査によると、教育カリキュラム全般に芸術を組み込んだ低所得学校の生徒の方が、そうしたプログラムを持たない学校の生徒より、テストの成績が早くよくなったことが明らかになっています」という記述がある。ここで言う「シカゴでの調査」がどのようなものか非常に気になったので調べていたところ、2005年1月8日付のワシントンポスト紙に、これに関連した記事が掲載されていることがわかった。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A57870-2005Jan7.html

 内容は、小学校の授業において主要科目に図工の要素を取り入れることで効果が高まるということであり、それが直接、芸術家の雇用と結びつくものではなかった。しかし、教育と美術のあり方を考える上でさまざまな示唆を与えると思うので、その訳文を紹介する。


 教育の成功をもたらす図工

 ニック・ラブキン、ロビン・レドモンド

 ワシントンポスト、2005年1月8日(土)、A19ページ

 秋。シカゴの低所得地域にある学校の4年生は、興奮気味に注目され取り囲まれた。彼らは、作文の授業の一環として互いに肖像を描き合っている。彼らは熱中しており、壁に掲げられたたくさんの作文と絵は、学習と成果が本物であることを証している。この建物ではほとんどの教室で、図工と他の科目を関連づけながら発見の威力を示している。
 同じ日、別のシカゴの低所得者学校で、4学年の生徒たちがクラスメートへのちょっとした注意事項を読むのを椅子に座って待っている。彼らは「妹を叩かない」、「宿題をする」とつぶやく。壁に子どもたちの作品はなく、学習の形跡もない。その代わり、生徒が守るべき決まりを書いたポスターが貼られている。「自由とは何か?」と誰かが訪ねる。自由とは自己制御の賜物、という答えが暗示される。
 新たな経済は、創造性、適応性、チームワークなどの高く秩序だった技能を必要とするが、低所得地域のほとんどの学校では、学習における「基礎」的な技能や試験、規律というものを狭く捉えて執心している。生徒が退屈して学習を放棄しないよう、試験と規律とで絶え間なく追いまくる。
 前出の学校やその他いくつかの学校では、主要科目に図工を組み合わせることでさらに有効な手段となることを証明しつつある。無選抜校でありながら、近年、最高得点を達成したシカゴのエッジブルック小学校の校長は、その成功について図工を取り入れたことを挙げている。「私たちは試験の点数にマイナスの影響があるのではないかと心配していました」とダイアン・マシェジェフスキーは述べた。「しかし、現実には逆のことが起きました。」
 調査の進
行に従い、彼女の主張を裏付けるデータがもたらされている。調査23:図工の統合を行ったシカゴの学校では、人口統計学上同等の学校と比較して試験の点数が2倍の速さで上昇した。ミネアポリス・プログラムの研究では、図工の統合はすべての生徒に対する本質的な影響を示しており、特に境遇に恵まれない生徒に顕著な効果を与えている。収穫は基礎学習や点数の先にある。生徒はより考えるようになり、学習技能を高め、学ぶことに深く傾倒していく。
 この調査はまた、図工の統合によって教員が自信を持ち挑戦的になることを示している。都市部の学校について調査している著名な社会学者のカレン・シーショアは、ミネアポリス・プログラムについて「私たちが見た数多くの教師の中で、最も精力的な専門的開発実践」と呼んだ。
 図工が境界を越えて他の科目と手を結ぶとき、それは認知科学で言うところの理想的学習の条件を満たす。シカゴ大学の研究者はそれを確実でやりがいのある知的作業と呼んでいるが、この授業方式はより実用的で組織的なものを提供している。すべての教科は図工を通して目に見える学習となる。教員による生徒の評価も上がる。
 図工を統合した授業は、授業内容を自分自身の経験としばしば重ね合わせ、またグループ作業によりしばしば教室を学習共同体に変えるため、生徒は感動をもって意識を集中させる。これらの教室の変化は、学校をさらに広範な変化の階段へと進める。指導計画を柔軟に変化させることで、有意義な問いに対する関心を持続させた。父兄が学校に巻き込まれる。教師は指導者としての新たな役割を共に担う。
 こうした成功は、図工が情緒や表現だけの教科でないことを明らかにする。それらは深い認知でもある。図工は、世界に対する注意深い観察、観察や想像から得たものを心の中で描写すること、複雑なものを抽象化すること、パターンを認識し展開させること、象徴と隠喩の表現、質の判断などといった、思考を行うための道具を開発させる。科学、哲学、数学、歴史などにおいても、私たちは同じような思考のツールを使っている。そして図工の利点は、それが、社会性と情緒の発達に向けた認識の成長につながっているというところだ。生徒たちは、何を学ぶべきか、科目と生活との関係、彼らの理解力の深まり、さらに真剣に学び、そして互いに学び合うことをより深く意識する。
 学校が基礎学習に焦点を当てている限り、生徒たちは高い技能を求める経済の中での仕事に備
えることができない。学校が最低ラインの上で静かにしていることを求める限り、生徒たちは自分で考えることを学ばない。シカゴやミネアポリス、その他の実践の成功は、多くの学校や地域にとって図工の統合がすぐにでも始められることを証明した。授業の中で図工と学習を結びつけることが、基礎学習と規律への無駄な執心を超越し、関心の格差を是正して学校を幸福な場所にするための戦略であることを、調査は示しているのではないか。今こそ多くの地域と学校がこの戦略を採るときである。

 ニック・ラブキンはシカゴ・コロンビア・カレッジ芸術政策センターのエグゼクティブ・ディレクター、ロビン・レドモンドは副責任者。『絵の中にアートを置く:21世紀の教育再構成』編集。

 © 2005 ワシントンポスト社
 松永康訳


 日本では、近代的な美術の方法論は西欧から輸入された。つまり日本の近代美術は「型」を受け入れることから始まったわけである。西欧の型に倣って作品を作り、それがまた型どおりの洋館に並べられた。日本の掛け軸は床の間に、ヨーロッパの額絵は応接間にと、それぞれ空間の持つ歴史性に即して作られたが、それとは対照的に、日本の近代美術はかなり特異なスタートを切っていた。
 そのため近代的な美術の考え方を受け入れた人々は、洋画日本画を問わず、作品をできるだけ周囲の環境から切り離して成立させようとするようになった。和室に洋画を飾れるし、日本画もまた洋室に飾れるというわけだ。こうして、その場の歴史と関りなく飾ることのできる作品が次々と生産され、見る側もまたそれに慣れることを求められた。
 小野寺さんは、美術作品が置かれる場にはサイトとスペースの違いがあるという。私たちが生活する場には無限の意味と歴史が堆積しており、建物や道路はもちろん、路傍の草1本にも来歴というものがある。そうしたさまざまなしがらみを背負った「サイト」の中で私たちは生きている。
 一方で「スペース」とは、その場にまつわる意味や歴史を剥ぎ取った空間のことだ。美術館や画廊の展示室などは、できるだけこの「スペース」に近づけるように作られている。ホワイトキューブと呼ばれる極めて特殊な室内で、人々は浮世のしがらみから離れ、視覚的な居雑物を取り払ったうえで美術作品と接することができる。
 しかし純粋に抽象的な「スペース」というのは、現実の世界にはあり得ない。どのような場であっても、必ず何かしらの歴史と意味を内包している。そのことを多くの美術家が理解していないため、作品を時間軸の中に落とし込めずにサイトから遊離させてしまっている。小野寺さんは次のように書く。

  現代美術というアートの中には、Spaceという空間を求める種と、Siteに生息しようとする種があるようです。すなわち、美術館や画廊のように完全に個性を消去した展示専用空間(Space)に作品を展開し、自らのコンセプトを発信しようとする場合と、深く歴史や文化に根ざした個性豊かな場(Site)に、その場の特異性を読解し、自己の思想にもとづき作品のコンセプトを立ち上げ、作品を展示する場合とがあります。
(小野寺優元「ネビュラという渦」、『2008CAFネビュラ作品集』より)

 これまで美術家は、より多くの人々と地域に美術を広めるため、たゆまぬ努力を続けてきた。しかしその根底に、サイトとスペースにまつわる混乱があったため、そうした努力の多くが無になってしまっている。遠まわしに書いてはいるが、これは長い間、放置されてきた重大な欠陥だという憤りが行間から読み取れる。
 美術家であれ美術家以外であれ、まず展覧会を企画する人間の意識を変えることが先決だと小野寺さんは言う。美術家は常に、現実に潜む意味や歴史を視覚化するため感性と技術を磨いている。そして展覧会の企画者は、与えられた場の特性を最大限に引き出すことのできる美術家を選ぶ。そこに場とつながる何かが備わっていることで、作品は初めて人々を動かすことができるからだ。
 陽はすでに傾き、学生の姿もまばらとなった。しかし台風一過の校舎には、ここからまた何かが始まるのだという予感が満ち満ちていた。そして、改めて作品群を見渡す私の目には、国際野外の表現展の展開を巧妙に仕組んできた小野寺さんの手腕と成果がくっきりと浮かび上がってきた。(おわり)


 この日、ボランティア講座でレクチャーをするため出品者のひとりである本多真理子さんが来ていた。これもまた公開プレゼンテーションの一環である。自分の作品に対して美術家はいったい何が語れるのか、私はこうした興味も手伝いこの講座に参加した。
 本多さんは、千年谷公園の橋の欄干と池の中の柵を使い、その間に何重にも赤い紐を往復させる作品を制作していた。それらの橋や柵は、風景の中で極めてデザイン本意に作られており、吊り橋風の構造にも養殖囲いのような柵の形状にも何ら必然性はない。それなりに目を引きはするが、その意味でこれらは機能を伴わない空疎な造形である。
 そうした状況に対面し、本多さんは直感的に、そこに紐を絡みつけたいと思ったらしい。その結果、橋と柵の間には図らずも有機的な関係が生じ、ある種、視覚的な必然性がもたらされたと小野寺さんは評価する。さらに本多さんが作業をしている間、その進展を毎日確認しにくる女性がいたり、学級新聞に掲載したいとインタビューに訪れる子どもも現れた。そこでは、公園に出入りしている人たちとの意思疎通という人的必然性も生まれていた。
 美術家は作品を置く場所から何らかの示唆を受け、それを手がかりに制作を開始する。しかし作者の手を離れるとき、作品もまた制作過程という過去を捨て、今度は置かれた場との間で自律的な関係を結び始める。作品に埋め込まれた作者の直感がその場の意味や歴史性をすくい上げ、そこに関わる人々とともに次なる物語を紡ぎ始めるのだ。
 美術作品は、置かれる場の意味や歴史の説明材料になってしまってはいけない。それは不動の記念碑であって、そこから新たな物語が生まれる余地はない。しかしだからと言って、その場の歴史や意味を無視してもだめだ。結果的にそれは、公園の橋や柵と同じように風景の中のアクセントとなってしまう。彫刻は周囲と隔絶しつつも、その内側に、その場に対する作者の思念が込められるべきである。そのことではじめて、美術作品としての固有の存在を発揮するのだと思う。
 作品が作者の手を離れた以上、それはすでに作者のものではない。作品はすでに、そこで独自の位置を築き始めている。だとすれば、その作品に対して作者が語れるのは、これから始まる物語づくりの1人の参加者として、自分がその場とどのように関わってきたのかということであろう。
 美術家たちはこれまで、作品をいかに作るかという作品内部の問題に意識を集中させてきた。さらにそれらは、何の手がかりもない空虚な展示空間に置かれ続けため、作品を独り歩きさせる機会も逸してしまった。作品について語るには、いったん作者から引き離さなければならない。ところがこうした状況があったことで、美術家たちは作品を通したコミュニケーション・スキルを磨くことができず、見る側との間に次第に深い溝が築かれていったのだ。このことが日本で現代美術が流通しにくい最大の原因だと、小野寺さんは指摘する。(つづく)
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