忍者ブログ
http://srep.blog.shinobi.jp/
さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
WRITE ≫  ADMIN ≫
埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
フリーエリア
最新コメント
[12/05 小川町伊東]
[11/02 大園 弥栄子]
[06/24 NONAME]
[06/24 NONAME]
[11/13 松永です。]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
松永康
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索
カウンター
[10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20]
■ [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


「オープンスタジオ」KODAMA ART HOUSE、9月19日(土)~27日(日)

 「KODAMA ART HOUSE」を主宰するのは柳健司さんだ。2004年、縁あって芸術活動に理解のある地主さんと出会い、 児玉町(現・本庄市)で土地を借り入れることになった。まずは解体寸前だった大きな古いプレハブの倉庫を探し出し、移築することから工事は始まった。とりあえず住めるようになると、今度はそこを根城に本宅の工事である。
 本宅の設計から内装まで、作業のほぼすべてを柳さんが行った。最低限の予算で最大限の家づくりを目指したのだ。現在は名称をKODAMA ART HOUSEとし、区切られた空間にそれぞれ4人の美術家が生活しながら制作を行っている。
 9月にはここでオープンスタジオが行われる。立体作品を中心に制作している新井淳一さんと、主に平面作品を制作する岡田達郎さん、武藤彬子さんが本宅の方で展示を行う。そして柳さんは、最初に建てた倉庫をさらに改装して展示することになっている。
 柳さんは今後、この場所を使って作品展示等、様々な活動を行っていきたいと考えている。美術関係者に来てもらうのはもちろん嬉しいが、それより地元の人に見てもらいたいという思いが強い。すでに地域の行事にも積極的に参加し、住民との交流も深めているらしい。KODAMA ART HOUSEの次の展開へと、すでに柳さんの心は動き始めているようだ。

(090714取材)

PR

「柳澤信男オープンアトリエと作品展示」柳澤信男アトリエ、9月19日(土)~23日(水・祝)

 柳澤信男さんのアトリエは、飯能市街を見下ろす顔振峠のすぐ下手にある。版画家の永井研治さんの紹介で、2005年に借り受けた一軒家の旧家だ。
 柳澤さんは月曜から木曜まで武蔵野美術学園に勤務し、金曜から日曜日までこのアトリエで制作している。自宅から車で1時間ほどで来られるので、気持ちを切り変えるのにちょうどよい移動時間だ。また、学校勤めと制作のための場所が分かれることで、精神的にもバランスが保たれるという。
 アトリエに着くとまず庭の草刈りで日が暮れる。しかしそのことで、この空間に心身が馴染んでくるらしい。制作が進まなくなったとき、気がつくといつの間にか草刈りをしていることもある。ここでは、絵を描く作業と草刈りとが一体になっているのだ。
 これまでアトリエにあまり人を呼ばなかった。人と関わる勤務から離れ、一人きりになれる時間が心地よかったからだ。初めは版画家である奥さんの美奈子さんと共同で使っていたが、湿気が多く木版にカビが生えるため最近は柳澤さんの独占状態となっている。
 柳澤さんはかつて木片を使い、表面に鋭い起伏のあるレリーフ作品を作っていた。しかしある時期から、巨大なキャンバスの上に、行為性の強く残る筆跡を外延部に向けて引き延ばしていく作品となった。そして最近は、ベニヤ板の上に円形の色面を重ねていく作風に変わってきている。
 私が訪ねたときは、母屋の西側に作った新しいアトリエでこのタイプの作品を制作していた。初め大きな円を描き、その上に小さめの円を塗り重ねていく。円を塗る筆跡はそれぞれ中心へと向かい、それらが集積することで重層的な視覚効果がもたらされる。そしてある程度画面が埋まると、今度はその上に不透明な色面で有機的な線が描かれる。
 オープンアトリエのときには、母屋の方に90×180cmのベニヤ板8枚に描いた新作と、併せて何点かの旧作が並ぶという。そのときには、この部屋を襖絵のように取り巻く作品と、縁側の外に広がる木々の重なりが、濃厚な響き合いを見せていることだろう。

(090728取材)


「柳井嗣雄新アトリエ展」柳井嗣雄アトリエ、9月19日(土)~23日(水・祝)

 柳井嗣雄さんの新アトリエは、木々と山々に囲まれた名栗川沿いにある。私が訪ねたとき、柳井さんはアトリエ改修の真っ最中だった。人に頼むとお金がかかるので、できるところは自分で改修をしているのだという。そしてこの工事が終わると、次は大がかりな引越し作業が待っている。
 ここは建具屋さんの住居兼仕事場だったところだ。そこが空き家となり、売りに出ていた物件を買った。二階建ての住居と平屋の作業場があり、庭を挟んで奥には物置小屋もある。この作業場の部分を、展示にも使えるように改装していたのである。
 柳井さんは、長く国立市にある自宅を兼ねたアトリエで作品を制作していた。そこが使えなくなり、新たなアトリエを探していたのである。制作の傍ら、国立の文化施設で月に1度ずつ紙漉きや紙の造形のワークショップも開いていた。「和紙アートの会」と名づけられたこのワークショップには、延べ50人ほどの人が登録していた。
 柳井さんはこの他に、埼玉の皆野にもアトリエを持っている。大きな作品はそこで作るのだが、自宅から車で3時間ほどかかるのでワークショップの人たちに来てもらうのは無理だ。その点、この新しいアトリエができると1時間ほどで来られるし、広い家があるので泊りがけのワークショップも可能になる。
 ここでは大型和紙を漉くための設備も入れるという。地元の植物を使った創作和紙も作ってみたい。将来的にはワークショップ参加者とともに、共同アトリエのような形で使っていけたらよいと考えている。
 9月のアトリエ展では、杉の皮を使ったインスタレーションが展示される予定だ。この作品の制作は、まず製材所で杉の皮を剥がす作業から始まる。皮をそのまま煮込んで繊維状にし、それを再び杉皮のように成形して乾かすのだ。そうして作られたこの作品は、すでに何か所かでインスタレーションとして展示してきた。今回、この作品が、飯能の自然環境とどのような響き合いを見せてくれるのか楽しみである。

(090728取材)


「田代絢子銅版画展」ギャラリー麦、9月17日(木)~27日(日)

 長く市役所勤めをしていた栗原梅次さんは、2005年に脱サラし、新狭山駅前に喫茶店を兼ねた「ギャラリー麦」を開設した。地元の絵画サークルの人たちの発表の場として会場を提供するとともに、実績のある美術家の展覧会を定期的に開いている。ここでこの9月に行われるのが、田代絢子さんの展覧会である。
田代さんは福岡県出身の銅版画家だ。佐賀大学教育学部特設美術科専攻科修了後1970年に渡仏する。同じ時期にフランスに来ていた画家の斎藤輝昭さんと2年後に現地で結婚し、1985年までここで生活することになる。
 渡仏後間もなく、田代さんは、ヘイター(S.W.Hayter)が主宰する「アトリエ17」を訪れる機会を得た。ヘイターは画家であると同時に、版画の世界を大きく革新させた版画家でもあった。かつてはカルダー、ダリ、エルンスト、ジャコメッティ、ミロ、ピカソ、シャガールといった著名な美術家がこのアトリエで制作を行った。そんなことも知らぬままそこで版画の奥深さに魅入られた田代さんは、その場で銅版画をやることを心に決めた。入所するのに1年待たされたが、その後の5年間、ここで学んだ版画の技術と精神は何物にも代えがたい財産となった。
 版画には、何もないところから像が現れてくる楽しさがある。版から紙をはがすときのあの緊張感と期待感が、これまで田代さんを版画制作の虜にさせてきた。また1点の作品を複数の人でシェアできるのも魅力で、そこには独占ではなく共有することの喜びがある。
 さて帰国が目前に迫ったころ、友人の紹介で、たまたま狭山市にアトリエを持つ人と会った。そこで田代さんたちは、帰国後そこを借りて住むことにした。狭山を拠点として東京で個展を行う他、それぞれの出身地である福岡県および福島県の画廊でも精力的に展覧会を行った。
 1999年、入間市に「アトリエキャトル」という共同アトリエができ、周辺に住む美術家がここで制作を行うようになった。田代さん夫妻もその当初からのメンバーである。ここには埼玉県西部地域の美術家がよく訪れる。田代さんは、この場所を基盤に、今後、この周辺に住む美術家たちと緩やかな連携を結んでゆきたいと考えている。

(090717取材)


「国際野外の表現展2009比企」東京電機大学鳩山キャンパス、東松山千年谷公園、9月15日(火)~10月12日(月)
「国際野外の表現展2009比企」川越市立美術館市民ギャラリー、9月22日(火・祝)~9月27日(日)
「国際野外の表現展2009比企」ギャラリー亜露麻、9月22日(火・祝)~10月3日(土)

 今年の「国際野外の表現展2009比企」の特徴について、実行委員会代表の小野寺優元さんに話を聞いた。
 今年の新たな出し物としては、まず石川雷太さんがノイズによるサウンド・ライブを行う。「ノイズ」とは、音楽に昇華されていないナマの音表現のことで、そこには電子音や自然界の音が含まれる。ところが新たな「ノイズ」が発見されるたび、それはミュージシャンたちに次々と取り入れられていく。そうすると、それはすでに「ノイズ」とは呼べなくなる。だからこそ彼らは、いつまでも新たな「ノイズ」を探し続けることができるのだ。
 このライブのため、電機大学情報通信学科の技術協力を受けることになった。さらにそこに舞踏家による身体表現が加わる。電機大学の会場内には、あちこちに人知れぬ隠れ場所がある。そのようなノイズにふさわしい空間を探して、連続パフォーマンスを行うらしい。これは、滞在型のアートキャンプ的なイベントとなっていくのだろう。
 また野焼きのワークショップが今年で3回目となる。会期中、出品者や学生、来場者らに粘土のオブジェを作ってもらい、それらを秋に大学の校内で大々的に野焼きするのである。このような大がかりな野焼きのできる場所は、県内にもそうないだろう。夕暮れ時、火柱が立ち上るその光景も見ものだそうだ。
 ところで、比企には関東三大古窯のひとつがあり、この試みはそうした歴史の再考も目論んでいる。さらに今回は、小川町の紙業試験場跡地で和紙の開発を行っている和紙研修会の人たちが、提携イベントとして参加する。美術家たちの力を借りながら、和紙製品の新たな可能性を探るのである。これからは紙、養蚕、焼き物など、比企の地域性に根ざしたテーマも視野に入れてこの事業を展開させいくそうだ。
 この催しは高い公共性を有していると小野寺さんは自負する。そのため、これまでさまざまな形で市や県といった自治体に協力を呼びかけてきた。しかしそれに対する反応は冷たかった。公務員というものは、理解できることしか受け入れない人種なのだろう。それよりむしろ、彼らの中でこうした活動に関心のある人を役所から外に連れ出した方が手っ取り早い。小野寺さんが川越でやってきたアート・イベントなどはその成功例である。
 催しを行うときは、展開していくための仕組みづくりが肝心だと小野寺さんは言う。中でもNPOどうしの連携などは特に有効だ。一致団結するというより、同じ方向を向いている者どうしが併走していくのである。小野寺さんの柔らかな語り口の中に、硬直した行政システムをその外側からゆっくりと締め上げていく真綿のような力を感じた。

(090722取材)

忍者ブログ [PR]
Powered by 忍者ブログ  Design by © まめの
Copyright © [ 五十路のチビジ ] All Rights Reserved.