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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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 私が訪れたのは、初日の夕方に開かれた「オープンディスカッション」だった。このディスカッションは、毎夕、開かれることになっていたが、初日には金沢21世紀美術館館長の秋元雄史さんが来るというので、私は迷うことなくこの日に行くことにした。
 実は秋元さんは、1980年代に盛んに作品発表を行っていた美術家だった。私が画廊まわりを始めたころ、ちょうど彼も発表を始めたということもあり、当時はけっこう親しくしていた。中野にある実家にもおじゃましたし、ゆかりさんとの結婚式にも出席した。近藤幸夫さんがギャラリーなつかで展覧会を企画した折、そこに出品することになった秋元さんの紹介文をなぜか私が書いたこともある。
 ところがどんな因果か、彼は1991年、突然、直島コンテンポラリーアートミュージアム(現ベネッセアートサイト直島)開設のため、岡山のベネッセコーポレーションに勤務することとなった。もちろん美術家としての活動もそれきり途絶えた。そしてそれ以降、私たちはほとんど顔を合わすこともなくなった。この日、久しぶりにあった秋元さんは、髭を蓄え体もずいぶん大きくなっていたが、時おり裏返るハイトーン・ボイスはまったく変わってなかった。
 この日の演題は「アートでできること。難しいこと。」となっていた。私は、当然のことながらこれは秋元さん自
身が出したテーマだと思い、彼にしては意外に後ろ向きだなという印象を持った。ベネッセから金沢に移ったことで、何かプレッシャーを抱えているのではないかなどと勘ぐってみたりもした。ところが話を聞くと、これは企画者たちが勝手に決めたものだそうで、結局最後まで、アートで「難しいこと」については語られることはなかった。以下、秋元さんの談話を、思い出すままに書き綴っていく。

 秋元さんは、主にベネッセアートサイト直島の変遷について語った。美術館は何とか開館したものの、直島にはほとんど人が来なかった。そうこうするうち、ベネッセの職員からも見離されるようになった。職場にもだんだん居づらくなり、1人で島の中を回りながら住民と世間話をするようになった。彼らと話す中で改めて知ったのは、彼らもまた自分たちが住んでいるこの島を見捨てているという現実だった。
 秋元さんは、都会と同じようなやり方でここで展覧会をやっていてもだめだと思うようになった。それより、住民の協力を得て、美術館の外で展示事業ができないかと考えるようになった。彼自身にも、単に作品を借りてきて展示するのでなく、作家としての経験を活かして、アーティストとともに活動してみたいという思いがあった。それが、その後、注目されることとなる直島固有のコミッション・ワークへとつながっていくわけである。
 この活動が始まると、秋元さん自身、アーティストとの共同作業によってしばしば救われることがあったと言う。どんなときにも前向きに対処していく彼らの姿は、周囲の人たちに希望を与えてくれるのだ。「苦しいときのアーティスト頼み」などという洒落言葉も浮かんでくる。そして、その成果は2000年に行われた「スタンダード」展で結実する。秋元さんは、何をするにもとにかく時間をかけることが大切だと強調した。

 ところで美術館が開館したころ、島を訪れる観光客は年に1000人ほどだった。それが今、28万人にまで膨れ上がっている。これは、島内で受入れられる許容量をはるかに超える数だ。しかし実際には、今のところさほど大きな問題は起きていない。それは来島者の階層が影響しているようだと言う。通常、観光地で問題になるのは、まず来訪者のマナーの悪さである。ところが直島の場合は、ほとんどが美術鑑賞を目指してくる、一定以上の階層の人たちなので、そういった問題がほとんど起きないのである。
 近年、ベネッセは、観光客向けのサービスと、住民向けのサービスという二重構造化を目指している。住民向けの部分では生活環境の改善が主となり、そこで行われる活動は一般的な美術の枠を超えてきている。北川フラム氏が館長となった今、ベネッセ直島ミュージアムは新たな段階に入っている。(続く)

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 北本市で、アートで市を活性化させるためのプロジェクトが始まった。初日の8月11日、私は夕方から行われた「オープンディスカッション」に参加した。話を聞きながら、この活動は、北本という一地域の問題ではなく、埼玉全域における今後の芸術活動について考える上で、非常に示唆に富むものであると感じた。そこでこの欄では、何回か続けてこの催しについて報告することにする。

 本事業は、北本市の石津けんじ市長自らの発案で始まったものである。石津氏は2003年、39才の若さで市長に初当選した。就任当初から、芸術活動を用いて市を活性化させたいという希望を持っていたようだ。そんなところへ2005年の9月、北本市文化センターにおいて、市内在住の美術家、永山聡子さんらによる2人展が行われた。そして、そこに石津市長が訪れたことから話は始まる。
 このときの永山さんの展示作品は一般的な日本画が中心だったが、資料の中に掲載されていた旧作の大がかりなインスタレーション作品を見て、市長はかなり衝撃を受けたようだ。市長は、このような現代的な美術作品を集めて展覧会をやりたいという想いを永山さんに語り、協力してもらえないかと相談を持ちかけた。そこで、永山さんが私の方に話を振り、さっそく翌月、永山さんとともに市長と会うことになった。
 市長は、どこかで「大地の芸術祭」のことを耳にしていたようで、予算はないのだが、あのように世間の耳目を集められる催しがやりたいのだという。そこで私は、「大地の芸術祭」のような大規模な展覧会をやるのなら、文化予算ではなく土木予算で対応するべきである。だがそれよりも、予算はかけずに時間をかけて、地域に根づかせていくような催しの方が意味があるのではないかというようなことを話した。そしてそれ以降、私にも永山さんにも連絡はこなくなった。
 そんなことがあったこともすっかり忘れていた今年7月の末、「埼玉県北本市でアーツなプロジェクトを考
えるためのキャンプ。」が開かれるという情報が、まったく別なところから飛び込んできた。これをMLで流してくれたのは、この事業を担当している同市生涯学習課の五十殿彩子(おむかあやこ)さんという人だった。
 ところで、石津市長は昨年、2度目の市長選を勝ち抜いていた。自治体の首長には、1期目は文化事業に手を出してはならないという鉄則がある。文化事業には落とし穴が付きものだからだ。2期目となり安定政権に入ったことで、石津氏はようやくその本領を示し始めたのだろう。そこでさっそく、念願だったアート・プロジェクトを稼働させたわけである。
 新年度に入り、市長は、たまたま知遇を得た東京藝術大学の熊倉純子さんに改めて相談を持ちかけた。市長は、私のときと同様、お金はないが「大地の芸術祭」のようなことをやりたいと言ったらしい。そこで熊倉さんは、やはり私と同じように、時間をかけて地域に根づいていくような催しにした方がよいと諭し、その参考として熊倉さん自身が関わっていた取手アートプロジェクト(TAP)を紹介した。TAPというのは、1999年から茨城県取手市において、市民と市、東京芸術大学の三者が共同で行なっているアートプロジェクトで、現在、その成果を確実に見せてきている。
 北本でのプロジェクトを実現させるに当たり、熊倉さんはまず、TAPをともに推進していた水戸芸術館の森司さんに協力を求めた。そこで森さんは、手始めに日比野克彦氏が行っている「明後日朝顔プロジェクト」を取り入れることとした。そして、その下見のとき藤浩志さんを誘い、この町で何かできないかと誘い水を差したそうだ。しかし、街中をしばらく散策したものの、藤さんには何のアイデアも浮かんでこない。それならば、ここで何ができるかを考えるためのプロジェクトをやるしかないじゃ~んという話になり、この催しが急遽、実現することとなったわけである。(続く)


北本アーツキャンプ―埼玉県北本市でアーツなプロジェクトを考えるためのキャンプ
ホスト:藤 浩志(美術家)
ゲスト:秋元雄史(金沢21世紀美術館館長)/曽我部昌史(建築家・神奈川大学工学部建築学科教授)/KOSUGE1-16(アーティスト)/熊倉純子(東京芸術大学音楽学部音楽環境創造科准教授)
企画協力:森 司(水戸芸術館主任学芸員)
とき:2008年8月11日(月)~15日(金)
 ※オープンディスカッションは11日~14日連日夜7時より
ところ:北本市野外活動センター(http://kcoac.ecnet.jp/

 


私は2005年から2007年にかけてしばらく中国通いをしていたのですが、デザイン的に外国語をあしらった商品をよく目にしました。いちばん多いのはもちろん英語ですが、日本語をあしらったものもけっこう増えています。
ところがそれらを見ていると、必ずと言っていいほどどこかしらへんな使い方をしているのです。たぶん中国の人たちは、あまりそういうのを気にしないのだと思います。
それからというもの私は、そういった珍コピー商品に奇妙な愛着を覚え、要らないものまでつい買ってしまうという悪癖が身についてしまいました。そこでみなさんに、そのいくつかを紹介したいと思います。




これは天喔食品の香脆花生。中身はひまわりの種なのですが、「ひまわりのたれ」と書かれると、ひまわりの花をこのたれにつけてムシャムシャ食べている姿を想像させられます。「Good quality is me」というのも何と訳したらよいのか…。




こちらは海望食品の焼魚片。金文字なのでちょっと読みにくいですが、漢字とひらがなで「和らぐでにゅ/ぅわであるおいしくてぅ/っとりする意ガ未だ/尽きない」と書いてあります。
これを和訳すると「和らかく柔和である。おいしくてうっとりする味が未だ尽きない。」となるのでしょうか。




こちらはご存知、といっても知らないと思いますが、已熟食品の紫菜湯です。このコピーがまた絶品で「海かちぽま贈り物ごす」。これは、日本語では「海からきた贈り物です」となります。




さて、ここまで想像力豊かな中国商品を紹介してきましたが、ここで最近見た日本商品の秀逸な例をお目にかけます。これは、これこそ彼の有名な文明堂パウンドケーキの箱書き。
「The original hand made pound cake/ which has especially fine favour and/ for your happiness tea time」と書いてあって、何となくわかるような気もするのですが、ではさてちゃんと訳そうとすると、なかなか手ごわいものがあります。文明開化の味とでも言うのでしょうか、中国のこと笑ってはいられません。

 


 川口市立アートギャラリー・アトリアとmasuii R.D.R ギャラリー+ショップで小原典子さんの作品を見てきた。アトリアの方は「ワークショップコレクション-光のらくがき」展の3人の出品者のうちの1人で、masuiiは「ネムリノカタチ」と題された個展である。
 アトリアの展示は、暗室の天井からたくさんの糸が下がり、そこにさまざまな形をした小さな造形物が無数に結び付けられている。造形物には蛍光塗料が塗られており、それらがブラックライトに照らされ空間の中に妖しく浮かんでいる。
 またmasuiiの展示は、透明なアクリル板の上に蛍光塗料の斑点で描かれた人物像のインスタレーションだった。3枚ずつ重ねて組にした人物像が、床に置かれまた天井から吊られている。そしてそれらは、やはり暗室の中でブラックライトに照らし出される。人物像の重なりは、見る角度によって少しずつ形がずれてゆき、異なる動作をしているようにも見えてくる。
 最初にアトリアの展示を見たとき、まずこの作品を作るのに要した労力に圧倒された。天井から糸を1本ずつ吊っていく作業もさることながら、部屋の暗さを保つため、白い壁の上に黒の模造紙が余すところなく張り巡らしてあるのだ。この作業のため、小原さんはまる3日をかけたという。
 しかし一方で、こうした作業的な部分ばかりが目に入ってしまい、実際のところ、この作家が何を表現したいのかよくわからなかった。ところが、引き続きこのmasuiiでの展示を見ることで、私の視点は一気に焦点を結んだ。彼女が提示しようとしているのは、人間の存在に対するひとつの見方だったのである。
 仏教には五蘊仮和合(ごうんけわごう)説という考え方がある。世界には遍く5つの気運が漂っており、それらが偶然ひとつに重なり合った時、人という存在が現れるのだという。そしてそれらが離れ離れになるとき、人の存在もまた姿を消してゆく。ここにはキリスト教に見られるような、神と向き合う絶対的な人間像は想定されていない。そうではなく、変幻する事象の中で、さまざまな生き物と同様に生まれてはまた消えていくという、極めて流動的な人間観がある。
 Masuiiに展示されていた、分子のような斑点で構成された人物像は、さらに3つの層に分けられ、ひとつのフレームに収めることのできない人間像を浮かび上がらせる。そういえばこれらの作品は、さまざまな気運の重なりによってぼんやりと影を結んだ、かりそめの人間の姿のようにも見えてくる。こんなことを考えているうち、私はふと先ほどのアトリアの展示を思い出した。アトリアのあの広い空間の中に浮遊していたのは、いまだ見ぬ存在を生み出すために空中に漂っている無数のエレメントだったのではないか。
 近代は、人間をひとつの完結した存在として位置づけようとしてきた。人間として社会に認められるためには、確固としたアイデンティティを持つことが求められた。そしてそれを対外的に示すために生み出されたのが、自己所有という観念である。その人が影響を及ぼすことのできる範囲は、その人の所有物の大きさで規定されるのである。
 しかし今日、先進国に生きる私たちは、そうした信念だけでは生き続けられないことに気づき始めている。自己所有への欲望が無限に広がり、後進国の貧困を増大させながら、世界中の資源を食い尽くそうとしているからである。私たちは所有物を自らのうちで完結させるのではなく、いかに人類の子孫に受け渡していけるのか真剣に考えなければならない時期にきている。
 敗戦を迎え、日本人は西洋式の近代を必死に受容しようとしてきた。美術家もまた、自分だけのオリジナリティを求めて闘い続けてきた。しかし、果たしてこの世の中には、その人だけに属するものが本当にあるのだろうか。今はすでに、もうひとつの自己のありようを模索する時代に入っている気がする。


ワークショップコレクション -光のらくがき-
2008年7月19日(土)-8月24日(日)
川口市立アートギャラリー・アトリア
出展作家:小原典子、木村崇人、吉田重信
http://www.atlia.jp/schedule/index.html

小原典子展「ネムリノカタチ」
2008年7月29日(火)-8月10日 (日)
masuii R.D.R ギャラリー+ショップ
http://www.masuii.co.jp/rdrg-exh.htm

 

■ チビジ

 チビジとは「地域の美術実践会」の略称です。8年間続けた地美懇も、5年も経った頃からメンバーの出席が鈍るようになりました。私もいろいろと考えることが多くなり、積極的な呼びかけを怠るようになっていました。
そんなある日、木村さんがどこかで高島芳幸さんの命を受けたらしく、地美懇再生のための労をとってくれることとなりました。会場も労働会館からマチェックへと移し、新たなメンバーを加えて地美懇は再スタートしました。
 マチェック時代には、与えられたテーマについてとにかく何かしゃべるということを、私は自らに課しました。それまで考えてきたことを言葉にしてみたいという思いが、私自身の中で湧きあがっていたのかもしれません。
 日本は1990年代に経済崩壊を迎えます。しかし私は、こうした国家の崩壊とは裏腹に、地域再生の試みがあちこちで始まっていることに着目していました。それは、大きな社会が崩れた時、バランスを保つため自然に起こってくる人の営みです。そこで、これまで地美懇で培ってきた素地を、埼玉という地域の中で活かせるのではないかと考えるようになっていました。
 00年代後半になると地美懇への参加者は再度減少しはじめました。経済の低迷が長く続いたことで人々の不安が煽られ、目的の見えない活動にはなかなか参加しにくい世相となったのです。メンバーたちも、仕事に打ち込むことでその不安を忘れようとしているかのようでした。美術関係者といえども、世の中の変化には勝てなかったのです。そして07年の暮れ、私はついに地美懇の解散を決意しました。
 しかし私には、地美懇を解散させるだけでなく、もし賛同してくれるメンバーがいるなら、これを「懇話」から「実践」の会に変身させたいという思いがありました。すると幸いにも、解散のための討議に参加してくれた高島さんや木村さん、本多真理子さん、高草木裕子さんたちが私の考えに賛同してくれたのです。おそらく彼らも、地域活動の必要性を感じていたのだと思います。こうして地美懇は発展的解消を遂げ、現在のチビジへと生まれ変わったわけです。

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