<展示作品>
私が展覧会を企画するときには、事前に出品者どうしで集まり、自らの作品の変遷についてそれぞれがプレゼンテーショするということを原則にしている。互いの作品についてより深く理解したうえで展示に望んでもらうためである。今回は7月18日から19日にかけて、伊奈町にある県の活動総合センターで泊りがけの研修会を行った。出品者の発言要旨はおよそ次のとおりであった。
翁さんは人の形態を手がかりに木や金属などを用いて制作してきた。今回の展示では鉄板と木の造形物を組み合わせた作品を提示する。野原さんは、有機的な形態により抽象的な色彩と形態を構成する。3点の作品を連作のような形で展示するそうだ。ともに有機的な形がその基盤に見られる。
小高さんは石を用いて生命の連鎖を表現している。今回は人体像と塔のような形態を対峙させる。やはり石を用いて生命感のある形態を生み出すのが小林さんだ。昨年の個展で発表した植物のシリーズを展示する予定だ。生命をそれぞれ別の角度から照射している。
鈴木さんは、日常生活の中で印象に残った事物を巨大な画面の中に記録していく。新作を出すか旧作にするかまだ迷っている。そして象徴性を持った事物の構成により、ある物語性を生み出すのが高津さんの絵画。会場の特性を活かして、これまで描いた中で最も大きな作品を展示するという。いずれも作品の中に読み取りの要素が込められる。
近藤さんは、職場の仕事が抜けられず合宿には参加できなかったが、椅子や家の形を手がかりとして、自らの内から湧き出る色彩や筆触を重層的に描き留めてきた画家である。本展には旧作を出品すると言っていた。近藤さんが重視する時間的要素は、すべての出品者が異なる視点でアプローチしているように思えた。
いずれの出品者の作品も、そこに込められた内容を一言で語ることはできない。しかし作品を2人ずつ見比べたとき、どこかに必ず通じ合う要素が見えてくるのだ。このプレゼンテーションを通して、今回の出品者たちは、それぞれ共通性と相違性を緩やかに併せ持った美術家であることが見えてきた。
8月に入ると、それぞれの出品作品が徐々にはっきりしてきた。それに伴い、作品の配置を具体化しなければならなかった。近藤さんは当初から、体育館という特殊な場所での展示に懸念を示していた。立体作品はある程度、周囲の状況との関わりで見ることができるが、絵画の場合は展示場所に強く影響される。そのため、出品者ごとに展示方法のバラつきがあるとさらに統一感を崩してしまうため、できるだけよい形で見せられる条件整備をしたかったのだ。(つづく)