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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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そもそも美術や芸術という概念は、近代化の過程で生み出されたものだ。それは人間の視点から神の視点を切り離し、さらに個人の能力を最大限に引き出すために力を発揮してきた。先進国において物質面での近代化はたしかにほぼ終了したと言えるが、一方で精神面での近代化において課題を残す国も多い。だからまだ、美術の役割は決して終わったわけではない。
 日本でも明治以降、他のさまざまな社会制度とともに「美術」や「芸術」が西欧から移入された。そして近代的自己の確立に寄与してきたわけだが、それと並行して別の問題が起きてきている。つまり、自己意識が拡大するにつれて他者の存在を受容しにくくなってきたのだ。そこで、私的領域を守りながらも同時に他者を受け入れられるような新たな思考様式の確立が、目下の最重要課題となっている。
社会芸術は、個々の役割を活かしながらそれらをつなげていくことを基本姿勢としている。だからそこに参加する人々は、何かしら自分のできることを持っていなければならない。ただしそれは芸術に限られたことだけではない。掃除をしてくれる人がいればもちろん助かるし、ただ見てくれるだけの人もいてほしい。その場に立ち会う人々の接し方が、そのままその人固有の役割として意味を与えられていくのである。
吉田はこれまで、ものを作っている人々とともにひとつの場づくりを繰り返してきた。領域の異なる専門分野を結びつけることで、有機的で広がりのある人間の連帯を実現してきたのだ。一方で福祉アートは、先述のように境界を無くすことで誰でも参加できる場づくりを目指している。一見、似たように見えるこの2つの活動の本質的な違いは、まさにそこにある。
 
社会が複雑化し専門性の極度に高まった今日では、人の営みをすべて理解することはもはや不可能である。与えられた範囲の中で、各人が自らのやるべきことをこなしていく他はない。しかしそのことで人々は分断され、常に言葉にならない不安を抱えるようになった。周囲の無理解の中で生きていくことは、ある意味で現代人の宿命なのかもしれない。
この状況を克服できるのは、他者のやっていることはよくわからなくとも、自分のやったことが確実に他者とつながっていると感じることのできる感性なのではないか。それを象徴的に示す世界観に触れることで、社会における自らの有用性が知らず知らずのうちに内面化されていくのだと思う。社会芸術はこれまで個々の美術家の固有性を尊重しつつも、そこにひとつの物語を導入することで、それらを孤立させることなく共に活かし合える関係へと変質させてきた。こうした感覚を多くの人が共有できるようになるために、吉田の今後の活動に期待したい。(おわり)

 『社会芸術vol.2「東西見聞録 創造性の根源を考える」』(2012. 3.31、社会芸術)
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