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さいたま美術展<創発>プロジェクト/Saitama Resonant Exhibitioins Project
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埼玉における美術活動の有機的な連携を目指して、松永康が、随時その状況について思うことを書き連ねてゆきます。
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 1990年代、経済政策の破綻により中央集権の時代が終焉を迎え、大都市を中心に展開してきた日本の美術規範は崩壊した。一方で、一部の地域では、市民や美術家などにより、少しずつ文化創生の試みが始められていた。地域固有の文化を築くためにはどうしたらよいのか。地美懇(仮称)は2000年に発足し、こうした動きを横目で見ながら、その後8年の間、討議等を通してこれからの地域文化のあり方を考えてきた。
 敗戦後、日本の美術界は美術家によって支えられてきた。彼らの献身的な努力により、世界に類のない数と量の展示活動が行われるようになった。そしてそれを追うように、美術評論家、美術記者、美術画廊、美術館等が、彼らの活動を支援するようになった。そして今日、都市の美術は、作品を作る美術家と、それを流通させる周辺の人々の共働によって機能するようになっている。
 1980年代の第三次高度経済成長期以降、行政主導による美術関連事業が華々しく行われるようになった。ところがバブル経済の崩壊以降、こうした事業は一斉に姿を消す。そうした中、横浜市では、2003年に横浜トリエンナーレを敢行し、これを契機として、市民による芸術活動を通した街の活性化が図られるようになった。そこでは、多くのフリー・キュレーターたちが現代美術を社会化させるための試みを続けている。
 一方、東京を挟んで横浜市と向きあうさいたま市にも、多くの美術家が居住している。民間主導で行われる展覧会も少なくない。しかし、それらのほとんどは美術家によって行われているため、作品を展示することが目的となり、催し自体が出品者の間で完結しているように見える。だからこそ、この地では、作品を制作していない一般市民が現代美術関連の催しに関わろうとするとき、大きな勇気と決断を必要とするのだ。こうした状況は、さいたま市の美術環境に相当の不利益をもたらしていると思われる。
 ところで、さいたま市周辺に住む美術家の多くは、これまで東京都内を主な作品の発表場所としてきた。しかし今日、収入の低下や経費の上昇により、都内で展覧会を行うことが大きな負担となってきている。さらに、国内美術市場の低迷や、マスメディアが取り上げる作品の偏向などにより、展覧会にかける労力に見合った反響が得にくくなっているのも事実だ。そのため美術家たちは、今、改めて地域に根ざした活動の必要性を感じ始めている。
 県政レベルでは、2003年に新知事が就任して以降、文化政策に対してはどちらかというと消極的な姿勢をとってきた。しかし2007年から2期目に入ったことで、少しずつ文化事業を手がける余裕が生まれつつあるように見える。地域コミュニティを活性化させるために、文化活動が極めて有効であることは旧知の事実だ。さらに、現県政が掲げる「心を守る!」というマニフェストは、健全な美術の再生を目指す活動と共通の理念を有している。
 こうした状況の中で、現代美術不毛の地であった埼玉は、今、その変革のため重要な時期にさしかかっていると言える。さまざまな立場の人々にとって、この地で美術活動を行うことの必然性が見え始めたのだ。地美懇(仮称)ではこれまで、地域における望ましい美術活動のあり方を模索してきた。ここで構築した方法論が、いよいよ実践に移される時である。

 地美懇(仮称)は2008年、発展的解消を遂げ、「チビジ」(地域の美術実践会)として新たな一歩を踏み出します。皆様方のご支援をお願いいたします。

080623 松永記 

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 国家予算が破綻し、明治以来、続いてきた中央集権の時代が終わろうとしています。美術においても例外ではなく、これまで大都市で集中的に行われていた美術の評価や選別が、その単一的な規範の崩壊によって行方を見失ってきています。こうした閉塞状況の裏で、自治体や市民、美術家などを中心とした実験的な活動が、地方においてすでに始められるようになっています。そしてこれらが、地域の新たな文化ムーヴメントを生み出しつつある例も、いくつか見うけられます。今後、こうした地域における文化創成の試みが、ますます注目を浴びるようになるでしょう。
 地域における美術活動は、これまでいわゆる「美術公募団体」の人たちによって担われてきました。彼らは、作品制作のための普及活動を地道にそして献身的に行い、それぞれの地域で数多くのアマチュア美術家を養成しました。その結果、わが国は、他に例を見ない膨大な数の美術家人口を擁することとなりました。ところが、地方の美術リーダーたちも、美術家としての評価は大都市で与えられるため、地域での格づけは、常にそうした大都市での評価を反映するものでありました。こうした状況は、しばしば文化や芸術の意味を見失わせる結果をもたらしています。
 これまでは一般的にも、文化は上から下りてくるものといった誤解がありました。行政もまた、市民に文化を施せるかのような錯覚を持っていました。しかし、現実に行政にできることといえば、市民が育て守ろうとする文化を、その背後から援助することぐらいなものです。さらに、先述のように、これからは中央での評価を単純に地方が受け入れられる時代ではなくなります。そこでは、個々人が独自に評価・選別を行い、それぞれの地域ごとに固有の文化(風土的特色を持った文化という意味ではありません)を築き上げることが期待されるようになると思われます。
 文化づくりを忘れてしまったわが国において、行政がまず取り組まなければならないのは、文化を育てることのできる「人づくり」です。これこそが、おそらく今後の文化行政の中心的な仕事となってくるでしょう。そのとき、行政がブレインとして求めるのは、それまで地域に根ざした文化活動を行ってきた市民に他なりません。今、世界で何が行われ、同時代人として私たちに何ができるのか。それを市民の文化的リーダーたちが理解していなかったとしたら、文化行政はますます誤った方向に向かってしまいます。これは決して行政の責任ではなく、文化に携わるひとりひとりの市民の責任です。
 そうした意味からも、同時代的な美術活動を行っている人々が、今後の地域文化のあり方を真剣に考えなければならない時期にきているものと思われます。
 2000年5月

 発起人 松永康、柳沢敏明
 


まず一発目にメッセージを書きました。わかる人はわかると思いますが、わからない人はさっぱりわからないと思うので、ここに出てきた特殊用語について解説を書いてゆきたいと思います。

 地美懇とは「地域の美術懇話会」の略称で(正式にはこのあとに「仮称」という言葉がついている)、「同時代的な美術活動を行っている人々が、今後の地域文化のあり方を真剣に考え」(「地美懇設立の趣旨」より)ることを目指して、2000年の6月に結成しました。その後、討議等を通して、美術に限らず、次々起こっては消えてゆく社会的な事象について、さまざまな角度から考えてきました。そして2008年7月、地美懇は解散し、地美懇が模索してきた「地域における望ましい美術活動のあり方」(「チビジ宣言」より)を実践するため、新たに「チビジ」が結成されたわけです。

 
地美懇は2000年6月から10月まで、浦和市(現さいたま市)の柳沢画廊を拠点として行いました。初期メンバーは、当時、松永が、社会的な関わりを持って活動していると思われる浦和市周辺の美術関係者に声をかけ、集まってもらいました。そして、各参加者の自己紹介をもとに、今後の方向性について検討を行うというところから始めました。
 
そして、しばらく間を空けたあと、今度は木村由美子さんが連絡調整役となり、2004年11月から2008年2月までさいたま市のマチェックで行うようになりました。ここでは、参加者から美術に関すること以外のテーマを出してもらい、それに対して松永が語れることを語るということを続けてきました。2007年からは木村さんがMLを開設してくれましたが、こちらはほとんど活用されず、現在のチビジのMLへと引き継がれました。
 
また時宜に応じて、メンバーが出品する展覧会の見学も行いました。高島芳幸さん、橋本真之さん、本多真理子さん、塩崎由美子さん、その都度、便宜を図っていただきありがとうございました。それと一度だけ、私が青森に赴任した年に、地美懇主催で青森ツアーを行いました。吉田未亜さんが幹事でしたが、このとき提起していただいた青森の可能性は何も実現されないまま、私はまた埼玉に戻ることになりました。
 今思うと私にとっては、さまざまな問題について情報を収集し、それに対する見解を自分の言葉で語ることを自らに課したマチェック時代の経験が、他に代えがたいとても重要なものとして残っています。この間、飽きもせず、私の話に付き合ってくれた人たちに改めてお礼申し上げるとともに、1人1500円でビール1本と軽食を用意してくれ、さらに持ち込んだ焼酎のためにアイスや割り湯まで提供してくれたマチェックの藤井青さんにも本当に感謝しています。


このたび、8年間、地下活動を続けた「地美懇(ジミコン)」を解散し、新に「チビジ」を立ち上げました。
地美懇は「地域の美術懇話会」の略で、チビジは「地域の美術実践会」の略です。
このブログでは、チビジの事務局長となった松永が、埼玉の美術状況について思うことを随時、書き連ねてゆきます。

今、横浜では、美術関係の催しが目白押しでけっこう賑やかです。
それに対して、東京をはさんでこちら側のさいたまは、異常なほど静かです。
しかし、いくつかの兆候から、機運はそこそこ熟してきているように思われます。
この会の姿勢は、一人一人ががんばれば世の中はよくなるといった、経済成長期特有の社会通念とは一線を画します。
そうではなく、それらをつなげ、ひとつのムーブメントとしていくことを目指します。

今の日本は個人主義社会です。
個人主義社会は分散を志向します。
ところが、公共を持たない日本社会では、そのことで逆に個人の存在が見えにくくなっているように思います。
そこで、バラバラになった個人や小集団の活動をつなげるための、もうひとつ別の位相の活動がどうしても必要になります。

具体的には、毎年9月にさいたま市周辺で行われる美術展を「同時多発展」として位置づけ、キャンペーンを張るということをします。
この計画を「さいたま同時多発展プロジェクト」(英語名「Saitama Resonant Exhibitioins Project」、略称「SREP」)と呼びます。
すでに定期的に行われている、またはこれから行われようとしている展覧会は、さいたま市周辺にけっこうあります。
でもそれらがバラバラに行われている以上、ムーブメントとなることは絶対にありません。
それらをチビジが有機的に連携させていくわけです。
時期としては、来年の9月に焦点を当て、その時期に行われる展覧会の「同時多発展」マップづくりをします。
そして再来年には、その範囲を埼玉県内へと広げます。
それに先んじて、今年からウェブ上でのプレ活動を始めます。
今年の9月にさいたま市周辺で行われる展覧会を、まずウェブ上で紹介してゆきます。
ついては、これに該当する展覧会の情報をお寄せくださるようお願いいたします。

たぶんこれを読んだ人のほとんどは、そんなことして何になるかと思われていると思います。
実を言えば私自身も、これがどのように展開していくのか見当がつきません。
しかし、気圧の高いところに穴を開ければ、風は自然に起こります。
これは地美懇の8年を費やして至った結論です。
皆様のどのような疑問にもお答えします。
ぜひ、この活動に賭けてみてください。

マニフェスト:
チビジは、価値の一元化を求めたモダニズムを超え、異なる価値が共存するポストモダンの美術社会を目指します!

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