チビジとは「地域の美術実践会」の略称です。8年間続けた地美懇も、5年も経った頃からメンバーの出席が鈍るようになりました。私もいろいろと考えることが多くなり、積極的な呼びかけを怠るようになっていました。
そんなある日、木村さんがどこかで高島芳幸さんの命を受けたらしく、地美懇再生のための労をとってくれることとなりました。会場も労働会館からマチェックへと移し、新たなメンバーを加えて地美懇は再スタートしました。
マチェック時代には、与えられたテーマについてとにかく何かしゃべるということを、私は自らに課しました。それまで考えてきたことを言葉にしてみたいという思いが、私自身の中で湧きあがっていたのかもしれません。
日本は1990年代に経済崩壊を迎えます。しかし私は、こうした国家の崩壊とは裏腹に、地域再生の試みがあちこちで始まっていることに着目していました。それは、大きな社会が崩れた時、バランスを保つため自然に起こってくる人の営みです。そこで、これまで地美懇で培ってきた素地を、埼玉という地域の中で活かせるのではないかと考えるようになっていました。
00年代後半になると地美懇への参加者は再度減少しはじめました。経済の低迷が長く続いたことで人々の不安が煽られ、目的の見えない活動にはなかなか参加しにくい世相となったのです。メンバーたちも、仕事に打ち込むことでその不安を忘れようとしているかのようでした。美術関係者といえども、世の中の変化には勝てなかったのです。そして07年の暮れ、私はついに地美懇の解散を決意しました。
しかし私には、地美懇を解散させるだけでなく、もし賛同してくれるメンバーがいるなら、これを「懇話」から「実践」の会に変身させたいという思いがありました。すると幸いにも、解散のための討議に参加してくれた高島さんや木村さん、本多真理子さん、高草木裕子さんたちが私の考えに賛同してくれたのです。おそらく彼らも、地域活動の必要性を感じていたのだと思います。こうして地美懇は発展的解消を遂げ、現在のチビジへと生まれ変わったわけです。
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